【世界の街角から】

やっぱりニューヨーク (その2)

あるお寿司屋さんの話


〈 オンタリオ州ロンドン市 ウィルソン夏子 〉


ちょうど1年半前のことだった。ニューヨークに住んでいる娘が「車すし」に行きたいと言う。娘によれば、このお寿司屋さんは、「ザガット」(レストラン案内書)で、ミッドタウン地域のお寿司屋さんとして、かなり高い評価を得ているとのことだった。「値段はどうなのかしら?」と不安ではあったが、「まあ、ランチだもの」ということで行ってみた。エレベーターで2階にくると、威勢のいい「いらっしゃいませ!」の声で迎えられた。

 
▲「車すし」はマンハッタン47丁目7番地の2階。マディソン街と5番街の間にある

レストランの客は、二人づれの男性しかいない。私たちはカウンターに座った。まず、まぐろをお願いする。ひとくち、口に入れた。「まあ、なんと柔らかなまぐろ」。魚が新鮮な上、ごはんにもぎゅっと握った感じがなく、ふんわり!

シェフさんと話し始める。
「ご出身は?」
「岐阜の大垣。でも、大垣を知らない人が多いんですよね。寿司に入ったのは、食べ物だったらなんだってよかったのですが、寿司屋になりました。寿司のどこが好きだったって?寿司の世界のしがらみかな? 寿司っていうのは、難しい世界なんですよ。厳しくてね。でも、自分の悪いところは、徹底的に直してもらいましたから、よかったですよ」

「いつ、退職するかって? 死ぬ時が、退職する時ですよ。娘が一人いて、結婚してミネソタに住んでいますよ。妻が時々行って、お宅みたいに、掃除なんかやってるみたいですよ。母親っていうのは、そういうもんなんでしょうね。だから、跡取りなんていませんよ。若い人に教えて、その人たちが満足行くレベルになったら、この『車すし』の名を渡しますかね。そこまで行ける人が出てくるかどうか・・・」

「15歳で東京に行って、ある大会社が持っているレストランで働いていました。掃除ができるまで、何もやらせてもらえませんでした。掃除ができるようになれば、何でもできる、ということでしょうか。掃除ができないと、ダメですよ、何をやっても」


▲数の子

「奥さんは何をなさっているかって? 遊んでても仕方がないので、寿司屋の会計をやってますよ。料理をするのは私ですが、金儲けのことは、私はさっぱりダメなんでね。女房とは、もう、わか〜い時から一緒でね。アメリカに来たのも、一緒。この店を持ちあげてくれたのも、彼女のお陰。彼女なしでは、この店は考えられませんよ」

「一軒家に住みたくないかって? いやいや、静かなところは全くダメなんでね。救急車やパトカーのサイレンがないと、眠れないんですよ。御苦労なさったように見えないって? そりゃあ、私は二つの顔を持っていて、もう一つは見せてないからですよ」

私たちが二人で食べたものは、まぐろ、うなぎ、うに、卵、鉄火巻き、いくら、あわび、(もうひとつ)うに、数の子、車すしロール、サーモンロール等々。会計は、ひゅーっと、百ドルを軽く超えていた。いっぱい食べた。写真も撮らせてもらった。いい話がきけた。

     ○   ○    ○

今年(2012年)3月初旬、1年半ぶりに「車すし」に行った。お元気だろうか、という心配はよそに、お店は満席で、シェフの上津トシヒロさんは、大変忙しそう。カウンターの座席も全部ふさがっている。この日は金曜日だったので、前回来た木曜日とは、お客さんの入りが違うようだ。

しばらくして、カウンターに座るが、上津さんの手は、休む暇がない。今回は「おまかせ」を、娘と二人で注文した。
やっぱり、一番先に出たまぐろのおいしさは、前と変わらない。

「まぐろって、どこから来るんでしょうか?」
「いろいろなところから来ますよ。日本やヨーロッパからでも、いいものがあれば、取り寄せるんです。お待たせしてすみませんでしたね。今日は11時半から、こうなんですよ」
その時は、2時近かった。9種類だったかのお寿司が、私たちのお皿に並んだ。
「これは、待たせたお詫びですよ」と言って、「ウニ」をサービスしてくれた!


▲ウニ

「ニューヨークでお寿司屋さんをする場合、一番困ることってなんでしょう?」
「それは、人を集めることですね。若い人は来ても、すぐ辞めていっちゃいます。どこそこで働いたほうが10ドルたくさんもらえるとか言ってね。そんなことしてちゃ、ダメだと言ってるんですけどね。うちなんか、まだずっと長い間、働いていてくれる人がいるから、まあ、なんとか続いてるけれどね。寿司職人さんだったら、腕をつけて、どこかに引っこ抜かれるくらいまでにならなくちゃ、ダメと言ってるんですけどね。私は厳しいですからね。よそのところで覚えてきたことが、私んちじゃ、通らないこともあってね」


▲上津さん(右)と、「車すし」の弟子になって16年目という助手さん。「彼女が泣いたのも、一度や二度じゃないですよ」と話す

「おいしいお寿司を作るコツっていうのはなんでしょうか?」
「それはね。握る一つひとつの寿司に愛情を込めることです。お客さんのことを考えてね、丁寧に作ることですね。機械的に作っちゃうと、いいかげんになるし、間違ったりするしね。ちゃんと作れば、絶対に気に入ってもらえるんですよ」


▲上津トシヒロさん(2010年9月に撮影した写真)

上津さんが、ニューヨークに着いたのは、1970年代の最初の頃。そして日本料理店「斎藤」のチーフ・板前さんになる。その後「竹寿司」で数年を経て、1977年「車すし」レストランをオープンさせる。2012年4月にはニューヨークでの「車すし創業35年」を迎えるそうだ。
「あの、このお店のこと、記事にさせて頂いてよろしいでしょうか?」 「わっ、はっ、はっ、はっ!!!」

気骨のあるお寿司屋さんに出会った。格別おいしかった。安くはなかった。学んだ。ああ、やっぱりニューヨーク。(おわり)

(2012年4月12日号)



 



 
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