【インタビュー】

ラテンと演歌をこなしキューバとの親善に貢献
トロント来演のギタリスト、アントニオ・古賀さん

5月4日夜、トロントのCBCグレングールドスタジオは熱気でむせかえっていた。新企会主催「アントニオ・古賀コンサート」。第一部は「ギターが歌う世界の名曲」と題して、「荒城の月」「月の砂漠」「月のベランダ」など、続いて映画主題曲「栄光への脱出」「禁じられた遊び」、さらにラテンメドレーで「シボネイ」「マラゲニア」など、バラエティーに富んだ曲が素晴らしいギター演奏で披露された。


▲「アントニオ・古賀コンサート」でギターを奏でるアントニオ・古賀さん(5月4日、トロントのCBCグレングールドスタジオ)

第二部は「みんなで歌おう」と観客に呼びかけ、「その名はフジヤマ」「べサメ・ムーチョ」「キサス・キサス・キサス」ほか、続いてアントニオさんの師、古賀政男作曲の名曲を演奏した。「影を慕いて」「酒は涙か溜息か」「湯の町エレジー」「人生の並木道」「誰か故郷を思わざる」「無法松の一生」「東京ラプソディー」等々、次から次へと懐かしい曲が飛び出し、観客もいっしょになって歌った。
「東京ラプソディー」のときには、アントニオさんは会場の観客全員に立ってもらい、サルサダンスのステップを教えるなど、出演者と観客が一体となり、和気あいあいとした雰囲気がみなぎっていた。

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翌5月5日、地元の日系メディアとインタビューをする機会があった。アントニオさんはやさしいまなざしで一つひとつの質問に丁寧に答えてくださった。


▲日系メディアとのインタビューに応じるアントニオ・古賀さん(5月5日、トロント日系文化会館バラルルーム)

アントニオさんは1941年(昭和16年)2月26日生まれ。本名は伊東貞行(いとう・さだゆき)。幼い頃よりクラシックギターを学び、17歳にして古賀政男に弟子入りし、歌唱法を学ぶ。「芸名は、古賀政男先生が付けてくれました。先生がアルゼンチン訪問の際、ギターの弾き方を指導してもらったアントニオ・シノポリの『アントニオ』と、先生の『古賀』を足して、アントニオ・古賀となったのです。ゴマンといる先生の弟子の中で『古賀』の名前をもらったのはぼくだけです」

今回のトロント・コンサートのあと、キューバを訪問するとうかがっています。キューバとは深い関わりがあるようですが、そのきっかけは?
「ぼくは日本ラテンアメリカ音楽協会の理事長を務めているのですが、この協会は毎年、コンサートを開いて中南米の恵まれない子供たちにドネーションを集めて贈っています。その活動の中で、キューバのエビ漁船がエビを輸出するために日本の港に来たときに、荷物が空になった帰りの船に中古のピアノを5台、ふとんにくるんで積んでキューバに運んでもらったことがあります。当時、日本では古いピアノがたくさんあったのです。それを集めては修理をして、日本に来るキューバの漁船に、毎年のように20台から25台をキューバまで運んでもらいました。この5年間に合計100台に達しています。最初、ぼく達は自費でこの運動をしていましたが、今は、運送費は公的機関から補助が出るようになりました」
アントニオさんは今までに何度もキューバを訪問、この18年間で23回にもなるそうだ。ラテンミュージックでの活躍やキューバとの国際交流に尽力してきた。その功績により、2008年にはキューバとの友好親善に貢献した者に対する最高の勲章「連帯大勲章」を日本の民間人として初めて授与された。

アントニオさんは、日本国内、外国でのコンサートを精力的にこなし、また慈善活動の一環としてキューバなどを訪問しています。その元気の源(みなもと)、パワーは何でしょうか?
「基本的にはギター大好き人間なのです。ギターの演奏で気持ちを伝えたい。どのような表現をしたらぼくの気持ちが伝わるのか、それが伝わったことが確認できると、ギターをやっていてよかったと、また、元気が出てくるわけですよ。ぼくはいたって健康だったのですが、67歳のとき、胃がんの手術をして胃の5分の4を取りました。そのあと胆石を患いました。それでも元気でやっています。じつは60歳で再婚しました。今、7歳の男の子がいます。この子が一人前になるまでがんばらなくちゃという思いです。このことも自分の生きがい、パワーの源になっています」

ギターからラテン、そして演歌へと変遷した経緯は?
「もともと、ぼくはクラシックギターから始まったのですが、演奏会では拍手がパラパラ。一方、ロックミュージックをやっているバンドには女の子がキャーキャー言って、もてている。同じギターを弾いているのになぜ?と思いましたね。ちょうどその頃、メキシコからトリオロスパンチョスが日本に来演、大きな影響を受けました。それからは独学で弾き語りを始めて、高校2〜3年のころ、全国大会で1等を取りました。女の子にもてたいとラテンに入って、デビューするときに演歌の大御所、古賀政男先生の弟子に入ったのです」

名前の「アントニオ」と「古賀」は、ラテンと演歌を意味しているのだと思いますが・・・?
「ぼくは日本で初めてのLP歌手として『フラメンコスタイル・古賀メロディ』というタイトルでデビューしました。普通の演歌ではなく、フラメンコ調になおして歌っていたのです。ある日、藤山一郎さんが古賀先生に『古賀メロディーを冒とくしている』と言ってきました。先生は『私がいいと思うんだから、いいのだよ』とやさしく答えました。先生の所で修業中、苦労したという覚えがない。毎日楽しくギターを弾いていたという思い出だけです。でも、40歳くらいになると、やはり自分には日本人の血が流れているんだと思うようになり、日本の良さ、演歌の良さを再認識するようになりました」


▲大好きな葉巻を手にくつろぐアントニオ・古賀さん(5月6日、松本ジェームス真一郎・新企会会長宅にて)

今回のトロント公演はカナダで初めて。観客の反応はどうだったのでしょうか?
「観客の皆さんは、素晴らしい!の一語に尽きます。日本語が分かるということで、日本のメロディーを多く演奏してみました。歌によっては、観客に拍手をおねがいしたり、起立してもらってサルサ教室(?)を開いたり、とっても楽しい雰囲気でしたよ。皆さんに私が言っている『音霊』(おとだま)をしっかり受け止めていただいたと思います」
音霊とは、アントニオさんが2009年に出した本『音霊(おとだま)──古賀メロディとともに』(講談社)で述べている言葉で、昭和歌謡の巨匠、古賀政男の愛弟子であるアントニオ・古賀さんが自分の人生を振り返り、また、師への思いとその音楽の普遍性をつづっている。そして、受け継いだ古賀メロディ・音霊がキューバで新たな生を受けるまでの軌跡を描いている。本書は、CD,DVDにもなって好評を得ている。
「音楽は生きています。ステージで心地よい音楽を奏でたら、みんな心地よく聴いてくれるだろうなあと思いながら演奏しています。ぼくは一人っ子なもんで、それなりに歌の一つひとつに感情移入します。だから、つい舞台の上から観客に入り込んでいってしまうのです。一方通行ではありません。ぼくは芸術家ではなく、芸をする人、つまり芸人ですね」

今回のトロント公演を機に、また来てほしいという声が高まっていますが・・・。
「2014年に支倉常長(はせくら・つねなが)キューバ上陸400周年の大きなイベントがあり、ぼくも参加することになっているので、その時にトロントにお寄りしたい。皆さんと再会できるのを楽しみにしています」
最後に、カナダの日系社会で何十年も前からよく歌われている歌「ワンダフル・カナダ」について、アントニオさんから、「この歌は古賀先生の作曲で、ぼくと島倉千代子さんが歌ったのですよ」と明かされた。「作曲=古賀政男、歌=アントニオ・古賀&島倉千代子 ワンダフル・カナダ」。この頃から、アントニオさんはカナダとご縁(えん)があったのかも知れない。

〈 取材・色本信夫 〉

(2012年5月10日号)

 



 
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