【トピックス】

エリザベス英女王在位60年記念
トロントのチャリティー活動家・伊藤ミッツ光好さんに勲章


英国のエリザベス女王は1952年の戴冠式から昨年(2012年)には在位60周年を迎えた。これを記念して英国および英連邦諸国で祝賀行事や表彰式などが行われた。
カナダでもコミュニティーや国家に貢献した人々に女王からの勲章「The Queen Elizabeth Diamond Jubilee Medal」が授与された。その中のひとりに、トロントの日系人、伊藤ミッツ光好(みつよし)さんがいる。


▲エリザベス女王在位60年記念勲章を授与された伊藤ミッツ光好さん (中央)。右はキャロリン・ベネット連邦議員、左は連邦警察(RCMP)儀典警官(12月9日、トロントにて)

伊藤さんは長年たずさわってきたチャリティー関係の活動が高く評価されて、今回、受章の運びとなった。授章式は12月9日、トロント市のクリスティーガーデンズ(800 Melita Cres. クリスティー×ダベンポートの西南)で執り行われた。式典には、連邦議会議員のキャロリン・ベネット氏(トロント市セントポール選挙区選出)や政府関係者、連邦警察(RCMP)、コミュニティー関係者らが参列、エリザベス女王の御名代であるデービッド・ジョンストン・カナダ総督からの表彰の言葉と祝辞が伝えられた。


▲エリザベス女王から贈られた勲章


▲トロントの自宅にて、伊藤さん(2013年1月12日撮影)

伊藤さんは88歳。現在、トロントの「ネルソン・アーサー・ハイランド財団」で日系人の常任理事として慈善活動に励んでいる。この財団は、創始者の故ネルソン・ハイランド氏が蓄積した株式の利益を基に運営されている。運営にたずさわる理事会には6人の常任理事が置かれていて、その一人が伊藤さんである。
財団のお金はさまざまな慈善施設、公共団体に寄付される。たとえば、病院、フードバンク、ユナイテッドウエイ、老人ホーム、がん研究機関など。個人には寄付が行われない。
伊藤さんは日系コミュニティーにも目を向け、トロント日系文化会館(JCCC)、仏教会、ジャパニーズソーシャルサービス(JSS)、もみじシニアセンターなどの団体に寄付を贈る企画を立てるなどチャリティー活動に力を入れている。

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伊藤さんは1924年8月、BC州ミッション(バンクーバーの東およそ50キロの町)生まれ。6歳のとき、母親は4人の息子を残して他界。伊藤さんは親元を離れソーミル(製材所)で働くなど、苦労する少年時代を過ごした。1941年、太平洋戦争ぼっ発。日系人に強制移動命令が下り、父親は農地を没収された。伊藤さんは父や兄弟たちと共にアルバータ州南部のピクチャービュットに移動、シュガービーツ(砂糖大根)の農場で働くことになる。


▲戦前住んでいたBC州ミッション市の「ITO PLACE」標識の前で伊藤さん(中央前)と伊藤家の親族(2000年撮影)。同市に貢献した伊藤さんを記念してこの道路名が付けられた

終戦後、カナダ政府は日系人に対して、カナダ東部に移動するか。日本に帰るかの選択を迫った。伊藤ファミリーの父と息子たちは日本に帰る道を選び、父母の生まれ故郷、滋賀県米原での暮らしが始まった。ある日、伊藤さんは米原駅で進駐軍の英国兵と英語を話す機会があった。これがきっかけで、広島で通訳の仕事をすることに・・・。広島では原爆投下1年後の惨状をいやというほど見せつけられた。


▲トロントのロジャースセンター球場で開催の「ジャパンナイト」でブルージェイズのユニフォームを着て始球式をする伊藤さん(2005年)


▲日系コミュニティーに貢献し表彰された伊藤さん(左から2人目)。右端は川上公一トロント総領事(当時)。(2007年)

1950年に結婚。妻好美(よしみ)さんとの間に男児が生まれる。10年間の広島での生活を終え、カナダに戻ることを決意。とりあえず、妻子を日本に置いて単身で叔父の息子をたよってトロントに来た。さっそく仕事探し。新聞の求人広告で「ショファー(運転手)」を見て応募、採用が決まった。株取引や亡くなった人の財産管理をする会社だ。
経営者はアイルランド系のネルソン・ハイランド氏。伊藤さんの真面目で誠実な働きぶりがすっかり気に入ったハイランド氏は、トロント市内ヤング×セントクレア付近にある自宅に住んでくれないかと言ってきた。喜んだ伊藤さんは、妻と息子秀樹さんを日本から呼び寄せた。やがて次男が誕生した。一家揃って努力した甲斐があって、二人の息子はそれぞれ大学を卒業。現在、長男秀樹さんは歯科医師、次男アーサーさんは薬剤師として活躍している。

1969年、面倒をみてくれたハイランド氏が亡くなり、伊藤さんは他の仕事先を探し、転職した。その後、ハイランド氏と親しかった連邦議会上院議員が、遺産を受け継ぐ人が誰もいないというハイランド氏の遺言状のことを伊藤さんに知らせてきた。その遺言状には「自分の家をそっくり伊藤ミッツに贈与する」と書いてあった。ハイランド氏にとって、伊藤さんが長年にわたって忠実に仕えてくれたことが、よほどうれしかったのであろう。
1986年、最愛の妻、好美さんががんのため59歳で亡くなる。伊藤さんは65歳で仕事を退職。お世話になったハイランド氏のご恩に報いようと考え、ネルソン・アーサー・ハイランド財団で社会のために貢献する決意を固めた。


▲建築家、森山レイモンド氏(左)と歓談(2010年4月10日JCCCチャリティーイベント、サクラボールにて)


▲88歳の誕生日パーティーはロジャースセンター球場でブルージェイズ球団のポール・ビーストン社長らをまじえて盛大に開かれた。背番号「88」のユニフォームを着用した伊藤さん(2012年8月30日)

若いときから苦労をしてきた伊藤さんは、それだけ、他人を思いやり、支援の手を差しのべるといったチャリティー精神が旺盛なのだろう。「周囲に困っている人がいれば、助けてあげたい」と語る。その一例として、近所の一人住まいのお年寄りの様子をひんぱんに見に行ったり、体の不自由な老齢者を買い物に連れて行ったりする。なかには、伊藤さんを信頼して「何か起きたら、すぐ来てください」と自宅の鍵を伊藤さんに預けてあるお年寄りもいるそうだ。また、伊藤さんはCNタワー階段登りチャリティーイベントに積極的に参加するなど、ボランティア活動にも元気いっぱいだ。
このたびの女王からのメダル授与について、「名誉なことです。今まで人さまにお世話になったお礼の気持ちを込めて、余生を世のために捧げていきます。年齢は88歳ですが、これからも体が動ける限り、チャリティーの活動をがんばって続けていきたい」と意欲を燃やしている。

〈 リポート・色本信夫 〉

(2013年1月17日号)



 



 
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