【世界の街角から】

大西洋ポルトガル領の島マデイラ
人工水路「レヴァダス」トレッキングに挑戦


〈 トロント・牧野憲治 〉

マデイラ(Madeira)のことを知ったのは、ヒマラヤのアンナプルナをトレッキング中、たまたま出会ったスコットランド人親子のトレッカーが、「トレッカーならあそこは行くべきところの一つ」と教えてくれたからです。
調べてみると、マデイラはポルトガル領の諸島で、本国ポルトガルから900キロ南西、アフリカのモロッコからは500キロ西の大西洋にあります。面積は約740平方キロ(トロント市は約630平方キロ)。人口は、あちこちに散在する町村を合わせて30万人ですが、過半数が首都のフンシャル(Funchal)とその近郊に住んでいます。


▲マデイラの首都フンシャルのオールドタウン地域。マラソン選手が走っている


▲典型的なフンシャルの街並み

マデイラは1400年代からポルトガル領になっていますが、今、日本と中国の間でもめている尖閣諸島などとは比較にならないほど複雑な歴史をたどっています。ナポレオン戦争後は、一時、英国が占拠し英国領としようとしたが失敗したという史実もあります。
これは近年、英国のサッチャー首相が、アルゼンチン近くのフォクークランド(Falkland)諸島でアルゼンチン軍を撃退して英領保持に成功したことを思い出させます。あの時は、米国議会の反対にもかかわらずレーガン大統領が英国空軍の米国領土通過を黙認、間一髪のところで成功したのですが、先行きどうなりますか。近頃、中国とアルゼンチンがお互いに尖閣島とフォークランドの所有権を認め合う話を進めているとどこかで読みました。
話がそれましたが、マデイラは次第に英国貴族、上流階級のバケーション地として好まれるようになっています。ウインストン・チャーチルも別荘を持っていました。

マデイラというと、世界的に有名なワインの「マデイラ」が思い浮かびますが、もう一つはレヴァダス(Levadas)と呼ばれる人工水路が有名です。山間をぬって流れるこの水路は距離を全部足すと、なんと1,400キロにも達します。レヴァダスの幅は20−120センチで、最大水深は100センチ。


▲初めて人工の水路「レヴァダス」と対面する筆者

トレッカーは主にこの水路に沿って歩くのですが、時には目もくらむような高さの細道や真っ暗なぬかるみの長いトンネルをヘッドランプをつけていくことにもなります。このレヴァダスは長い年月をかけ、また多くの人命を失った後、1940年に工事が終わったそうですが、説明書を読んでみると、その高精度の土木技術にはまったく感嘆せざるを得ません。
歩いていて登り坂をまったく感じないところでも、木の葉を水路に浮かべると、ゆっくり逆方向に流れ去って行きます。微妙な勾配がつけてあるからです。現在でも十分に機能しています。
さて、ここのトッレクには、(1)ガイドを使ってやるか、(2)全くすべて自分でやるか、(3)地元の旅行会社に宿泊先をふくめた旅程計画を作ってもらい荷物だけ毎日その宿泊先に前もって届けてもらう。あとは毎日もらう地図を頼りにその宿泊先に自力で到着する、というチョイスがありました。
私達は、ネパールのアンナプルナのトレックを経験しており、また、ここの高度は2,000メートルにも満たないので、ガイドは要らない、もし道に迷っても下ってくれば海岸の村に到達する、という安易な気持ちもあって、第3のチョイスで行くことにしました。この安易な気持ち、または浅はかな考えの結果を後で思い知らされることになります。

トレッキングの旅程は7日間、1日4−6時間で12―14キロ歩き、ときにはトレッキングのその日の終点からローカルの一般バスを利用して宿泊先のホテルまで行くというものでした。
初日は出迎えに来てくれた旅行会社のバスで首都フンシャルの飛行場から、カマチェ(Camache)村の海の見える小さな白亜のホテルへ到着。手書きのものをガリ版で刷ったような簡単な地図をもらい、それを見ながら、夕食後、ワクワクと村見物に出かけ、ついでにトレッキングの入り口を探しましたが見つからない。2、3人の村人に尋ねた結果、村はずれのあまり特徴もない建物の横の道を入って行くのだと分かりました。これで先が案じられましたが、そのとおり全行程を通じ何度も道に迷うことになりました。
翌日は、前記、偵察済みの入り口から、レヴァダスに沿ってススキを思わせる草がなびく丘陵や、ワイナリーの側を4−5時間歩いた後、ケーブルカーでフンシャルの昔の下町(オールドタウン)に下り、街見物。そしてワインと新鮮そのもののイワシ料理をたいらげ、ローカルバスでホテルまで帰り、まずは試運転及第とワイフとうなずき合いました。
次は2泊する海辺のマチコ(Machico)まで行くのですが、まず、かなり険しい山を越え、4、5カ所トンネルを通って小さな村に着き、そこからバスという行程。出発点の村リベイロ・フリオ(Ribeiro Frio =氷の川)からレヴァダス・ド・フラドに沿って12、3キロのトレックが始まりました。


▲レヴァダス・ド・フラドのトンネル


▲フラドのレヴァダスで見た野生のヒビスカス

まず典型的なトレックで、時には道幅が30センチに狭まる所もありましたが、標識もしっかりあり、実に変化に富んだ緑の壁、樹木の間からかいま見える近くの山肌、差し込んでくる木漏れ日、手のひらで岩肌を感じながら歩くトンネルなどエンジョイしました。

終点の小村でバスを待つ間、付近のバーに入ったところ、どうも雰囲気が良くない。後で、このような小さな村の住民は、概して、世界各地からやってくるトレッカーに好感をいだいていないということが分かりました。トレッカーは金も使わないし、自分達の文化に対して尊敬の念を払ってくれないということでしょう。そのとき、常連と思われる、村で仕事をしている外国人の技術者が4、5人入ってきて、私達を仲間に入れてくれ、酒、会話を楽しむことができたのは幸いでした。


▲マチコの街の風景

次の日はマチコから前日とは別方向に向かって長いトンネルを通り、さらに険しい山道を登って大西洋岸に達する。そこから絶壁に沿って時には幅30センチくらいまで狭まる岩道を歩いて ポルト・ダ・クルス(Porto da Cruz)まで行き、バスで帰ってくるという行程。この絶壁の道は、その名もボカ・ド・リスコ(Boca do Risco=危険な道)といわれ、例のガリ版地図に、雨が降ったり,風が強い日には絶対に行くなと書いてありました。
この日は少し霧雨があり、案じましたが、とにかく途中まででもと出かけました。しかし例によって、地図と道の標識が合ったり合わなかったりで迷い,危うく重要な分岐点を通り過ぎてしまいそうになった時、3、4人のスコットランド人のグループに呼び止められました。彼らは笑いながら、去年、彼らもここを通り過ぎ全く別の所へ行ってしまい、ついに ボカ・ド・リスコは見ずじまいだったので、今年また、わざわざスコットランドからやって来たのだと話してくれました。


▲マデイラ島北岸のボカ・ド・リスコ(危険な道)に入る


▲ボカ・ド・リスコの岩道で鉄のケーブルにつかまりながら歩く筆者の妻


▲ボカ・ド・リスコから海岸線に沿ってポルト・ダ・クルスを望む


▲ポルト・ダ・クルス近し

彼らに勇気づけられ、また、ここで彼らに出会った幸運を思い、頑張ってついに大西洋岸絶壁に達しました。目の前に果てしもなく広がる真っ青な大西洋を眺めて休息。そして、ここまで来たからにはと、眼下400メートルの海岸線をあまり見ないようにしながら、保護柵などない岩道を、時には岩壁に取り付けられた鉄のケーブルをつたって進み、ボカ・ド・リスコを克服、ポルト・ダ・クルスへの行程を完了しました。

次は、伝統的なとんがり屋根で知られる大西洋岸のサンタナ(Santana)に向かうのですが、マチコからまたいったん山に入り、公園のように手入れの届いた個人所有地を流れる美しいレヴァダスに沿って歩き、トンネルを4つばかりくぐってから、カルデイラオ・ド・インフェルノ(Caldeirao do Inferno=地獄のカルデイラオ)の荘厳な滝に出会うことになります。ここで非常に冷たい水に身を沈めて瞑想しているカップルを見ました。静かで滝が水を打つ音があるだけです。


▲サンタナへのレヴァダス道


▲地獄のカルデイラオの滝

マデイラの最高峰は1,862メートルのピコ・ルイヴォ(Pico Ruivo)。この山を越えて宿泊地の エンクメーダ(Encumeada)まで行くこのトレックが今回の最難関と旅行会社からの旅程に書いてありました。予定では13―4キロを4−5時間。出発点まで車で送ってくれた旅行会社の人に聞いてみると、高度があるし、上がり下りが激しく、少しきついが4−5時間みればOKとのことでした。
快晴で、ピコ・ルイヴォの頂上で素晴らしい景色に見とれていたところまでは順調でしたが、2,3人の家族連れがやってきて「いや、道に迷ってまたここまで戻ってきた。次の三差路で左に行っては駄目だ」と忠告してくれたのが、この先で遭遇した難儀の予告となりました。


▲ピコ・ルイヴォ(標高1,862メートル)に通じるトレック道

私達も1、2度道を間違えましたが、山で道に迷うということがいかに大変なことかよく分かりました。結局、またもとの所まで引き返して出直すしかないのですが、それも目印がさだかでないので容易ではありません。そして私達はもはや若鶏ではないので(Not spring chickens anymore)、その間の体力と時間の消耗がこたえます。
4−5時間の予定が実際には8時間以上となりました。山で日が暮れるのは速い。日没のとき私達はまだ雲の上にいて、その光景は今まで見たこともない表現不可のものだったのですが、写真を撮っている心の余裕はありませんでした。
その頃から頭にヘッドランプをつけて注意深く下って行ったのですが、最大の問題は飲み水がなくなってしまったことでした。時々、ブルーベリーのようなものをワイフが採集、それで口を潤したりしましたが、焼け石に水とはこのことです。1、2度、道端の水たまりを見つけ、がばっと身を伏せてちゅうちょなく水を吸いました。
こんな所の水は汚染されていることはあるまいなどと軽口をたたきましたが、ニュースの中で難民がせっぱ詰まって泥水を飲んだり、また砂漠で自分の小水まで飲むという話も十分に納得できました。8−9時間後に電気の光を見つけ、その道端のバーに倒れこむように入り、コークをがぶ飲みしたことを生涯忘れることはないでしょう。


▲フンシャルにある、世に知られた Blandy’s Winery (ブランデーワイナリー)を訪問

この後、フンシャルの海辺のホテルに2、3日間泊まり、マデイラワイン、海鮮料理で疲れを癒やしたことはいうまでもありません。ワイフ共々これでハッピー度完全回復。
(おわり)

(2013年3月7日号)



 



 
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