【インタビュー】

松本ジェームズ真一郎新企会会長
叙勲の喜びとチャリティー・スピリットを語る


日本政府の平成25年(2013年)春の叙勲で、在外邦人として「旭日単光章」を受章するトロントの松本ジェームズ真一郎氏。5月15日に東京の外務省で行われる勲章伝達式および皇居での天皇陛下拝謁に出席する。出発を前にお話をうかがった。〈取材・色本信夫〉


▲松本ジェームズ真一郎氏

大阪万博見学でカナダ移住を決意

まず、「身に余ることです。驚きました」と受章の感想を一言。
松本氏は、1941年(昭和16年)7月、東京・日本橋生まれ。戦争で群馬県桐生市に疎開する。桐生高校から立教大学に進み経済学部で学ぶ。部活はホテル研究会とアメリカ文化研究会。学生時代はホテル研究会から配膳会を通じてホテルの仕事をもらったりした。
「いわゆるアルバイトです。一流ホテルでウエーター、フロント、ルームサービスなどの実習をしました。帝国ホテルで働いていたとき、お盆を持ったまま美人のホステスに見とれていて、犬丸徹三社長(当時)の真ん前でお盆をひっくり返してしまうという大失敗をやらかしてしまった。これじゃホテルづとめに向いていないと考え、あきらめました。でも、あちこちのホテルでアルバイトした経験はその後、いろいろ役立っています」

大学卒業後、朝日生命に就職、営業部門に勤務した。5年ほどたった頃、かねてより外国に行きたいという夢を抱いていた松本氏は、「外資系の会社に入ればチャンスがあるだろう」と外資系に転職する。
1970年、大阪万博を見学。そこで「カナダ移住者募集」の看板を目にした。この万博ではカナダの国や州ががかなり積極的に参加、PR活動をしていた。松本氏は未知の国カナダに大きな興味がわいてきた。さっそく移住申請の手続きを済ませ、翌1971年秋、カナダに移民、トロントに住むことになった。


▲ブライアン・マルローニー元首相と歓談する松本氏と瀬戸山久子夫妻(2008年11月15日、トロント日系文化会館主催の会館基金募金イベント「リドレス晩さん会」会場にて)


▲新企会主催のチャリティーイベント「アントニオ古賀コンサート」でアントニオ古賀氏(中央)と親睦を深める新企会会員たち(2012年5月4日、トロント市グレングールドスタジオ)

成功の秘けつは「力」「運」「時」

トロントでは、ダウンタウンのシンプソン・デパートで子供服売り場のセールスクラークをつとめた後、山本宗一郎さん経営のレストラン「テイスト・オブ・ジャパン(日本の味)」のマネジャーを6年間つとめる。同時に藤井勇さんの旅行代理店「東京ツアーズ」のツアープランナーを兼務する。
「あの頃、レストランに食事に来るお客様からよく『毛皮はどこで買えるのか』と聞かれて、毛皮のお店を紹介していました。これがけっこう忙しくなってきたので、お店を辞めて毛皮で独立することになったのです」
といっても、自分の店舗を構えることはまだ無理。毛皮ビジネスを手広く展開していた佐藤マイクさんの会社「ワールドカナダ」のショールームを使わせてもらって毛皮製品を日本からのツーリストに販売することにした。当時、日本では平尾昌晃・畑中葉子の歌「カナダからの手紙」が大ヒットするなどカナダ旅行がブームとなっていた時期で、大勢の観光客が日本から押し寄せていた。
業績を上げてきた松本氏は、自分の会社「ジェームス・モト・エンタープライズ」(JME)および「ショーフレックス・インターナショナル」を設立、パートナーの瀬戸山久子さんとビジネスを始めた。1985年のことである。
JMEは日本人ツーリストに毛皮製品を販売する専門店、ショーフレックス・インターナショナルは日本からのツーリストのカナダ国内旅行のお世話をする業務である。パートナーの瀬戸山さんの斬新なビジネス感覚、企画力、積極性といった強い味方を得て、業績はぐんぐん上昇した。

「人生は人との出会いが大切だと、よくいわれますが、私の場合、山本宗一郎さん、藤井勇さん、佐藤マイクさんとの出会いが転機となったわけで、3人には心から感謝しています。同時に、瀬戸山久子(チャコ)という女性との出会いがなかったら、今の私はないと思っています」
成功のカギは、「力」「運」「時」だと松本氏は強調する。
「人生の成功の秘けつは、自分の力、すなわち努力、そして運に恵まれること、さらに時、すなわちタイミングの3つの要素にあると確信します。力・運・時の3つが共鳴して、仕事運がぐーんと昇り始めたのです。それにも増して、いちばん重要なのはチャコ瀬戸山という人生のパートナーに恵まれたことです」
松本氏は瀬戸山久子さんと結婚。夫婦が二人三脚で会社を経営してきた成果があがり、事業は大きく発展した。
2012年7月、会社のマネジャーたちに道をゆずり、2人はリタイアした。

新企会とロータリークラブでチャリティー活動

松本氏は、1985年以来、ビジネス経営者およびプロフェッショナルのグループ「新企会」の活動に関わりを持ち、この10数年間は、会長、副会長を務め、現在も会長として奮闘中だ。とくに新企会奨学金制度の充実、ロータリークラブと提携してのチャリティー活動には力を注いでいる。
新企会奨学金制度は今から24年前に発足。将来、カナダ日系社会および日加関係に積極的に貢献する志を持つカナダ在住の学生を対象に、あらゆる分野で有望な人材の育成を目的とした制度である。奨学生は、毎年、3〜5名が選抜され、一人2,000ドルずつ給付される。


▲仙台市の宮城教育大学で行われた東日本大震災の被災者学生への新企会奨学金授与式にて、同大学の高橋孝助学長(右)と松本新企会会長(2011年12月8日)


▲新企会奨学金を贈られた宮城教育大学の4人の奨学生

これとは別に、東日本大震災のあと、被災地の孤児学生に対しても支援の手を差しのべている。2011年度は仙台市の宮城教育大学の学生4名に奨学金として各50万円ずつ贈り、2012年度は4名の学生に各10万円ずつ贈った。これらの基金集めとして、新企会チャリティーオープンゴルフ大会やディナー会、チャリティーコンサートなどを開催している。
また、新企会は松本夫妻が所属するロータリークラブトロント・フォレストヒル支部と提携して世界に目を向けた活動にも協力している。ポリオ(小児マヒ)撲滅運動、地雷撤去運動などがその一例である。この基金募金イベント会場は、毎年のように松本夫妻が自宅を開放して150名前後の参加者を迎え入れ、来場者からのすべての会費をロータリークラブに寄付してきた。

さらに、松本氏はトロント大学教授、コンチータ・タン・ウィルマン女史が主宰する「プライム・メンター・オブ・カナダ」の理事を12年間務め、「ジェームス・モト奨学金」を設立、毎年、カナダの中学生に贈るなど、支援している。

今夏は被災孤児10名をカナダに招く

新企会は他の日系団体などにも呼びかけて、今年の夏、東日本大震災の被災孤児10名ををカナダに招き、ホームステイと野外キャンプを体験してもらう企画を立てた。これは、日本のNPO(特定非営利活動法人)「次代の創造工房」(秋沢志篤会長)と提携して行うプロジェクトで、「Support Our Kids」と呼ばれる。すでにニュージーランド、オーストラリア、アメリカ、イギリス、ベルギーに日本から被災孤児を招いて活動を行っており、カナダは今回、初めて松本会長の新企会が受け入れることになったものである。
【ウェブサイト参照】 http://support-our-kids.org/ja/

カナダ呼び寄せの計画では、今年8月5日から20日までの予定で東北地方の震災孤児、中学生4名、高校生6名の計10名を招く。その間、トロント地域でホームステイ、郊外でサマーキャンプを体験してもらう。また、大リーグのブルージェイズ観戦、ナイアガラ滝見学ツアーなどの日程も含まれる予定。
新企会では、すでにこの「Support Our Kids」プロジェクトの基金を集めるディナーパーティーなどのイベント開催を具体的に進めている。
「私は、さまざまなチャリティーイベントに携わった経験から、ロータリー・スピリット、すなわち、人のために尽くす精神(喜び)を学びました。おカネは有効に使うことが大切です。日本人は一般にチャリティーに対する認識はまだ低いという感じがしますが、カナダ人は自分の給料からなにがしかの金額を寄付するといったチャリティー精神が旺盛ですね」

将来の夢は「世界日系人移民センター」設立

会社経営から引退した松本氏は、これからの人生をどのように歩んでいくのだろうか。
「今後の夢ですか? ハワイに『世界日系人移民センター』を設立したいと考えています」
どういうことなのか、うかがってみると、かなりグローバルで雄大な夢なのだ。
「日本人移民は世界各地に広がって住んでいます。こうした移民たちは心の中で何かしら通い合うものがあると思う。同じ日本人として心の底に持っている伝統・文化・日本人の優しさ・日本への郷愁を世界的レベルで共有し、その中心となる組織を作りたいのです。そのヘッドクオーター(本部)を地球のおヘソと呼ばれるハワイに設立する。そのためのセンターを建てたいと考えています」
松本氏の構想によると、世界各国の移民の組織の代表者を招いて、世界日系移民国際会議を開き、親善および情報交換の場を持つ。そして日本人・日系人が世界の指導的立場につけるようグローバルリーダーシップ・スピリットを養成するのが夢だという。
「これは、あくまでも政治的なものではなく、移民の人たちが『親善大使』として世界に向かって日本の文化、もっと精神性のあるもの、日本の良さを発信することができればいいと考えます。今回の受章は、私が関係したすべての皆様方の努力の賜物(たまもの)であると思っています。皆様、本当にありがとうございました」

(2013年5月9日号)



 
 


 
 
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