【世界の街角から】

キューバ・バラデロ(その1)
ホテルでの偶然の会話に小さな「日本との出会い」


〈 オンタリオ州ロンドン市 ウィルソン夏子 〉

このごろ、人と人とが口をきくということが少なくなってきたように思う。私の場合、お隣さんと会話を交わすのは、年に数回と言った程度だ。また銀行などでも、要件以外、余分な話しは、ほとんどすることがない。
そんな日常だが、いったん家から離れて、旅に出ると、事情が変わる。今回、キューバのバラデロのホテルに一週間いて、人との出会いを考えた。


▲ホテル「ブリサ・ベヤ・コスタ」の建物(キューバ・バラデロ)


▲ホテルのプールサイドでのエンターテイメント。ドラムのリズムに合わせてアフロ・キューバダンスを踊る人たち


▲動作にはエネルギーがみなぎっている


▲ステップも激しい

これらのダンサーのショーが終わると、ダンサーたちは、客たちを引っ張ってきて、サークルを作り、簡単なステップの踊りを教え、みんなで踊った。私もその輪に入った。そうして、踊ることで、見ているだけでは、味わえない楽しさがあった。そうだ。自分も参加することで、楽しさが増すのだ。

このホテルには、多くの客がヨーロッパから、そしてカナダから来ていた。そして、私は何かのきっかけがあれば、ひとこと、人に声をかけることにした。そして縁もゆかりもない人たちの中に、小さな日本があったのに、驚いた。

白い柔道着を羽織っている熟年の男性と会った。
「柔道をなさるんですか?」
「いいや、これは娘が日本に行った時、買ってきてくれたんですよ」
行き違いに振り返ると、彼の柔道着の背中には、美人画が描かれていた。なるほど。なるほど。


▲二人の青年のテーブルの上に立っていたマスコット

二人の青年がプールサイドのテーブルにいた。テーブルには、奇妙な人形が立っていた。
ちょうど、周りの人々はビンゴゲームをしていたので、
「それは、ビンゴの賞品ですか?」と聞いてみた。
「いや、これは、僕たちと一緒に来たんだ。むしろ、このマスコットが、僕たちをバラデロに連れてきたと言ってもいいかな」 青年二人がマスコットに導かれて旅に出た、という表現はちょっと文学的過ぎる。が、何やら、このマスコットは、二人にとって、深い意味があるのだろう、と解釈する。
こんな楽しそうな人々に出会えるのも、旅だからである。その一人の青年が続けた。
「僕、新宿にいたことがあるよ」
「ええっ!」と、私は驚く。
「ノヴァっていう英語学校だよ。知ってるでしょ」
この青年が日本にいたなんて、思いもかけなかった。「袖触れ合うも他生の縁」ということわざがあるが、「袖触れ合うも多少(?)の縁」というのがちらっと頭に浮かんだ。

エレベーターの中で、私たちに声をかけた人がいた。
「楽しんでますか?」と英語で。
その人は、今はトロントの近くに住み、名前は森村さん(仮名)ということが分かった。ここまで聞くと、エレベーターは、私たちの階の3階に着いてしまった。「お休みなさい」と日本語で言うと、同じ挨拶が日本語で戻ってきた。

翌朝、森村さんに再び会った。彼は、旅行会社の人と話をしていた。
「いつ、お帰りになるんですか?」と私は聞く。
「本当は、昨夜帰るはずだったんですが・・」とおっしゃる。
「ええっ? 何かご事情でも?」
森村さんは言う。
「昨日、帰る間際に、パスポートがなくなってしまい、賢明に捜したが、見つからなかった。やっと見つかった時には、飛行機には乗り遅れてしまったんです」
「あらあ、大変でしたね」
「今、旅行会社の人と、飛行機を予約しているけれど、今日は、モントリオール便しかないので、まずモントリオールに行き、それからトロントに行き、それからハミルトンという経路をとらなくちゃなりません。今回のキューバ一週間のパッケージツアーに800ドル払っただけなのに、飛行機に乗り遅れたために、昨夜のホテルの宿泊代、食事代、片道の飛行機代で、800ドルになりました」
「あらあ、本当に大変でしたね」と同情する。
振り返れば、その前夜、エレベーターで会った時には、彼はもう飛行機を見逃して、余分に一泊泊まるところだったのだ。不愉快になっても当然の時だ。しかし彼は、「楽しんでますか?」などと見知らぬ私たちに声をかけたのだった。彼のおおらかな人柄が偲ばれた。

こうして、ホテル内で、偶然会話を交わした人たちに、思いがけなく小さな日本があって、私は、軽やかな気持ちを味わった。これらの会話は、ほんの数分で、話しの内容は乏しい。しかし、出会いの感触は、確かにあった。


▲サクソフォン奏者

そして、予期しないところで、日本の音に出会った。夕食前、ロビーのソファに座って、ライブの音楽を聴いていた。歌手とギターとサクソフォンのトリオだ。彼らは、ジャズっぽい音楽をやっていた。サクソフォンの独奏になった。
広いロビーに、音はまろやかな、とろけるような音色が響いた。奏でるメロディーは、時には人の声のように、哀調をこめていた。「いい音だな」と思う。これまでジャズにはそれほど興味もなく、サクソフォンという楽器には全く興味もなかった。が、風情があるこの音に、私は耳を傾けはじめた。

曲は、「グアンタナメラ」や「チェ・ゲバラ」などのキューバの曲ばかりでなく、「テイク・ファイブ」のようなアメリカンジャズの名曲も入っていた。これらの音楽を聴いているうちに、私は、「あのサクソフォンは、ヤマハ製ではないか」と思い始めた。確かな理由は、一つもなかったが、「日本の音」を感じたからだった。

彼らが一段落するのを待って、楽器について、夫に聞きに行ってもらうことにした。2、3分すると、夫とサクソフォン奏者が、二人が私の方にきた。その人と向かい合って話してみると、その楽器はヤマハのだと、分かった。推測が当たったので、私はうれしかった。
「20年くらい前、フランス製のを選ぶ機会もあったが、この楽器を選んだ」とその人は言った。楽器は古そうで、使われた年月を思わせた。言葉は少なく、どこか田舎的なおじさん風で、朴訥(ぼくとつ)な感じがした。優れた楽器奏者とは、このような人のことを言うのだと思う。すべて楽器に語らせているのだから。

日本の音とは、三味線、琴、尺八などの楽器にあるばかりではない。日本で製作された管楽器にも、日本の音を感知できるのだと知ったのは、自分でも驚きだった。このサクソフォンの音は、「わび」とか「さび」を連想させるというよりは、音の柔らかさが控え目に提示されているのが感じられ、それが日本的だと思わせたのだった。小さなことでも、日本につながる物を発見するのは、楽しい。

南国の
甘きねいろの
サクソフォン
日本の音を
さぐり知る艶

〈つづく〉

(2013年5月16日号)



 



 
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