【世界の街角から】

キューバ・バラデロ(その3)
もうひとつのお土産「モンテズマの復讐」 


〈 オンタリオ州ロンドン市 ウィルソン夏子 〉

旅を終えて、自分のベッドに戻る時に感じる安堵(あんど)感は、なにものにも代えがたい。無事に帰れたことが奇跡のように思える瞬間だ。ふとんの中に入れば、きれいな風景が思い出された。


▲海にボート1隻


▲岩と遊ぶ波


▲忘れられたサンダル


▲燃えるような葉っぱ


▲ホテルのメイドさんがタオルで作った白鳥

しかし今回、キューバから家に帰ったとたん、腸が変調をきたしはじめた。2、3時間ごとにトイレに走った。「この現象を下痢というのだ」と思い知ったほど、重症だった。家に帰ってから起こったので、幸いと言えば、幸いだったが、この状態が、3日も続いた頃、心配になりはじめた。「医者に行った方がいい」と、夫は言う。

私はおもむろに『家庭医学大百科』を開いてみる。「・・・このように便秘や下痢は、病気でない場合にもよくみられる症状であるから、常に規則正しい生活と、心身の安静を保ちうるように心がけ・・・・」。ちょっと、私の症状には合わないと思う。

次に『家庭の医学』を開く。「急性腸炎」の項があり、副項目として、感染性腸炎と非感染性腸炎があり、前者の項については、「感染性腸炎の診断はある程度の聞き取りで見当がつきます。海外旅行の有無やなま物の摂取などです」とあった。

そうか。この症状は、旅のおみやげだったのだろうか、と思い始めた。でも、おかしいな。一度として、旅の後、こんな症状は経験したことがない。それに、同じ場所で食事をしてきた夫は、正常そのものだ。やはり旅とは関係なく、これは腸自体に問題があるのかも。心は曇りはじめた。

それで、家にある最後の家庭医学書を見てみる。英語版で、このインデックスの下痢「Diarrhea(ダイアリア)」の項には20余りの副エントリーがあり、最後のほうにあった「旅行者」の項をまず見た。「旅行者のかかる下痢は水や汚染された食べ物によって起こる腸の感染である・・・」

私の症状は、「これだ」と決めた。決めてから、色々な原因を思い浮かべてみた。ホテルのレストランは、すごくおいしかったし、毎日何百という人が3度食事をしているのだ。私だけが感染するのはおかしい。食べ物ではありえない。じゃあ、水か、と考えて、「あっ」と思いつくことがあった。

朝起きて、お茶を飲む習慣があるので、その日も、部屋に備え付けられたコーヒーメーカーに水を注ぎ、持参のティ―バッグをカップに入れて、飲んだ。しかし、その日、ボトルの水が切れていたので、「まあ、いいか。一度は沸騰させて飲むんだもの」と思い、蛇口から取った水をコーヒーメーカーに入れた。確かにそれを飲んだのは、私だけであった。

「キューバでは人々は、地元の水を飲んでいますが、みなさんは、ボトルの水を飲まれる方がいいでしょう」という言葉を、これまでに何十回とガイドさん達から聞いてきた。しかし、それまで、一度も下痢など起こらなかったので、「私は大丈夫」と思っていたのだが、ついに失敗! 事情を話すと、夫は、「そのような症状を、Montezuma’s Revenge (モンテズマの復讐)というのだ」と言った。かなり頻繁に使われる言葉になっているらしいのだ。


▲モンテズマ

この絵を見れば、モンテズマ自身、気に入ったのではないかと思われるほど、かっこいいではないか。(ちなみに、この写真は公共財産で、著作権なし)

モンテズマ(1466ごろ−1520)は、メキシコの中央部に存在した先住のインディアンのアステカ族の帝王の名前である。酋長と呼ばないのは、アステカ族が非常に広大な領地をもち、一大帝国を築いていたので、帝王と呼ぶらしい。

1519年、スペイン人のヘルナンド・コルテスが侵入してくるが、その時、彼らと対峙(たいじ)したのが、モンテズマ帝王だった。彼がコルテスらに殺されると、先住民の支配するメキシコがほぼ消滅するのだ。モンテズマは、教養があり、技芸に優れ、占星術師であり、また優れた哲学者だったそうだ。服は毎日取り換え、サンダルをはき、19人の子どもがおり、メキシコの最良の王様だったそうだ。

こんなわけで、観光客が起こす下痢は、この帝王の逆襲だと考え、「モンテズマの復讐」という呼び方が広まったそうだ。そして、今ではメキシコばかりでなく、ヨーロッパやアジアなどへの海外旅行が原因で起こる下痢は、「モンテズマの復讐」と呼ばれるようだ。なるほど、なるほど。

というわけで、海外旅行者の20%から50%に起こるといわれるこの現象は、キューバで起こったとしても全く不思議ではなかったのだ。このことを友人に話してみると、彼女の息子さんたちは、南米エクアドルに行ってかかり、もう一人の息子さんは中東のシリアに行って、かかったそうだ。だから、「モンテズマの復讐」は、想像以上に頻繁に起こるようである。

水は、20分ほど煮たてなければ、殺菌の効果はないそうだ。「モンテズマの復讐」を避けるためには、信頼できない露店などでの飲食は避けるとか、飲み物に入れるアイスを避けるとか、ガイドブックには数々のアドバイスがある。

私の場合、医学書が指摘したように、これは5日間続いて無事終了した。しかし原因は水ではなかったかもしれない。慣れない食べ物だったか、急激な気候の変化だったのか、あるいは抵抗力が衰えていたのかもしれない。しかしこのお陰で、メキシコ史の頂点のドラマを垣間見ることができて、「得しちゃった」と思ったのも事実である。

たたりうけ
トイレに走り
うわごとに
我も一人の
観光客か

(おわり)

(2013年5月30日号)



 



 
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