【世界の街角から】

スペイン・バルセロナ
ガウディ、ミロ、ピカソの作品、タパス呑み屋満喫



〈 トロント 牧野憲治 〉

40年ぐらい前、私達夫妻がヨーロッパをうろうろしながら日本に向かっていた時、スペインのバルセロナの飛行場でたまたまイタリア人のカップルに会いました。新婚旅行中の彼らはそこからバスでサンフィリユ(San Feliu de Quixols)というコスタブラヴァ(Costa Brava)の海辺の町へ行くのだということで、その町の話を聞いているうちに次第に意気投合し、バルセロナはまたいつでも来られるという気になり、彼らと一緒にサンフィリユに行ってしまいました。
そして40年。その失った機会を取り返すというほどでもありませんが、今回のピカソの町ホルタ・デ・サンジョアン(Horta de Sant Joan)への旅(「e-nikka」 2013年7月25日号に掲載)がバルセロナ経由でしたので、ホルタへ行く前、ここに4日間滞在することにしました。


▲バルセロナの中心地、ランブラー通り中央歩道の花屋

バルセロナはフランス国境から南へ150キロ、地中海に面したカタルーニャ地域の首都(人口約300万)です。この地域の全人口は700万余、スペイン語と共にカタルーニャ語(カタラン=Catalan)も公用語として認められており、長い独自の歴史と文化を持っています。スペインに対しては長らく反逆精神を保ち、カタルーニャ政府は、来年(2014年)にはスペインからの独立を問う国民投票を実施すると言っています。
バルセロナでのの宿泊は、インターネットで中世からあまり変わっていないと記述された下町、ゴチック(Gotic)地域の一部のボーン(Born)にある、旧邸宅を改造したブティークホテルに決めました。
理由は、パリのシャンゼリゼやニューヨークの5番街に当たるといわれるランブラー(Rambla)とそれに平行して走るグラシア(Gracia)通りまで徒歩10数分、ピカソ美術館からも5−6分、地下鉄の駅にも近く、また、私達にとっては重要な、本場のタパス(Tapas)レストランが近くに数多くあることなどでした。
そのほかピンチョス(Pintxos)といういっぷう変わった呑み屋も数軒あります。そこではセルフサービスで、次々と出てくる種々多様な一品料理を勝手に取って来て主にカウンター、時にはラッキーであれば数少ないテーブルでワインその他を飲むのですが、帰りの時のお勘定は一品料理に一本刺さっている爪楊枝(つまようじ)の本数で払います。回転寿司の皿の枚数で払うのとちょっと似ています。


▲グラシア通りにあるガウディ設計のビル


▲グラシア通りのガウディ・ビル拡大写真


▲グエルパーク内、ガウディ設計の家

ランブラー、グラシアは、道の中央にもいろいろな小店のある歩道が走る街路樹豊かな大通りです。優雅なロココスタイルの建物や雰囲気は確かにパリのシャンゼリゼやブエノスアイレスのマヨ通り(Avenida de Mayo)などを思わせ、また有名なカタルーニャ出身の建築家、アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の設計、また彼の影響を受けた設計のビルも散見されました。

ここでの見どころの一つは、セントジョセフ・マーケット(Mercado Sant Josep)。 広さはトロントのセントローレンス・マーケットの2倍くらいでしょうか、しかし売っている商品の量やまた混雑ぶりはその4、5倍以上という感じでした。 とくに二軒あった海鮮料理屋のカウンター前は人だかりが多く、かなり待たないと座れません。しかし、やっと席を取り、安くてうまいカヴァ(Cava)と呼ばれるスパニッシュシャンパンを飲みながら、目の前で作ってくれるこれも安くてうまい料理を食べると、待ちのフラストレーションは十分解消されました。

バルセロナは美術愛好者のパラダイスなどともいわれているそうですが、カタルーニャ出身の画家では、ダリ、ミロ、タピエス、それに前記のガウディが建築家として有名です。ガウディは1900年ごろ、グエル(Guell)というデベロッパーと組んで大規模な高級住宅街開発を試みましたが、中途で挫折。その跡が、現在ユネスコの世界遺産地区として保護され、観光名所の一つとなっています。
このパークグエル(Parc Guell)には地下鉄で20分、さらに登り坂道30分を要しましたが、行ってみる価値は疑いなくありました。このガウディ氏の建築、色彩感覚は“けた外れ”という表現もあてはまると思いますが、半ば冗談でなく、ワイフと英語の GAUDY(派手過ぎ、金ぴか、上品とかしぶいの正反対) という形容詞はこの人の名から来たのではないかと話しました。 しかしこう思ったのは私達のみではないらしく、帰ってから調べたグーグルでの回答は、この言葉は16世紀から既に存在し、20世紀の建築家の名前とは無関係ということでした。


▲バルセロナの海辺に立つ奇妙な塔

このあと、地下鉄でバルセロナの港町へ直行し、暮れなずむ海辺の風景、ヨットハーバー、奇妙な建物の建っている砂浜などを眺めて歩きました。
ミロ美術館(Fundacio Joan Miro )はモンジュイッチパーク(Parc de Montjuic)にあります。ここにはお城、遊園地、庭園、カタラン美術館などが散在し、また、ここは1992年バルセロナオリンピックの主要競技場でもありました。


▲ミロ美術館の入り口に立つミロの作品


▲ミロ美術館内、ミロの作品


▲ミロの作品

私達は地下鉄と登山電車を乗り継ぎ1時間ぐらいかかって着きました。ミロの作品は300点の絵画、150点の彫刻、8,000点のスケッチなどが集められ、見ごたえのある美術館でした。

私達のホテルの近くの、うっかりするとすぐ道に迷ってしまう細い路地を通って、3、4軒タパスの店を試してみました。タパスの店は激しい競争のため、それぞれ工夫を凝らした独自のメニューを考えて対抗しています。私達の結論は、ホテルの受付の女性が「私はここ!」と断言した店がやはり一番ということになりました。バルセロナ・タパス料理とはどんなものかご興味のある方は、下の英語メニューの一部をご覧下さい。


▲バルセロナのタパス呑み屋


▲タパスの英語メニュー(一部)

バルセロナ最後の日は、ホルタへ一緒に絵を描きに行く仲間たちが到着し、夜は皆でバルセロナ最古だとかいう店でまたタパスの会食、それから小さな劇場へフラメンコダンスを見に行きました。


▲バルセロナ、フラメンコダンサー

立ち見を含めて満席の観客は実にカジュアル(普段着)のバー的な雰囲気でサングリアやカヴァを片手に見ています。しかし本場のプロのダンサーたち、歌手、ギターや打楽器演奏者たちのパフォーマンスはさすがにゆるぎなく見事で、フラメンコダンス特有の憂いの表情、仕草、また歯切れのいい激しい動きと床を打つ音、哀愁の漂う、しかし太く力強い歌唱など、舞台が近いこともあって迫力十分でした。

翌朝、期待していたピカソ美術館へ皆で行きました。この美術館はピカソの若い修業時代からの作品4,249点を集め、最も包括的なピカソ美術館であるといわれています。彼の若い頃の写実能力、リスクを伴った実験、創造の過程、抽象への過程、キュービズムへの変貌などが見られ、ピカソの絵に対して前より少し親近感が増したように感じました。


▲ピカソがスペインの画家ベラスケス(Velazquez)の有名な絵「ラスマニナス」を57様に解釈して描いた作品の中の1点。この美術館には57点全部ある(画面内の反射は余分です)


▲1897年ピカソが17歳で初めて個展を開いた「4 Cats」レストラン

ホルタへ出発する前、「バルセロナに来たからには一度は行かなければ」といわれる「4Cats」(フォーキャッツ )というレストランで昼食。このレストランの歴史は長く、ここで1897年にピカソが17歳の時、初めてのソロの展覧会をやっています。 昼食後、皆一人一人、「ピカソの作品の中から一点だけ一番印象に残った作品をあげその理由を述べよ」という難題があり、頭を悩ましました。(終わり)

(2013年8月22日号) 



 



 
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