【わが体験記】

陪審員の候補者になって(前編)    
召喚され裁判所に出頭、法廷で傍聴席に座る



〈 オンタリオ州ロンドン市 ウィルソン夏子 〉

去年(2012年)のある日、珍しい封書がきた。「誰、これ?」という感じで開けてみると、それは裁判所からだった。どうやら私は、裁判所で行われる裁判の陪審員になる可能性をもつ一市民として選ばれたということらしかった。

「でも、一体どうして、私が?」。それは、選挙権のある人の名簿を使って、コンピューターが無作為に抽出したということらしいのだ。
「わあ、困った。どうしよう。やだなあ」が私の正直な反応だった。

この封書には質問書が入っていて、「回答を5日以内に送り返しなさい」とある。生年月日などの事務的な質問のほか、健康状態について、過去に刑務所に入ったことがあるかなどの質問があった。私が、「はた!」と手を止めたのは最後の質問だった。「あなたは、英語が話せて、読めて、理解できるか」。私は、しばらく考えた。実に答えにくい質問だったが、回答欄には、「はい」か「いいえ」の選択しかない。「はい」のボックスにチェックマークを入れて送り返した。

その後1年以上、裁判所からの知らせは来なかった。だから、このことはすっかり頭から消えていた。そんな時、二度目の封書が来た。9月の末(2013年)のことだった。「10月15日(火)午前9時に地元ロンドンの高等裁判所に出頭せよ」とのことだ。これを召喚状というのだ。「出頭を怠れば、なんらかの罰が科せられる」と紙のふちに書かれてある。カレンダーを見ると、サンクスギビングデー(感謝祭)の翌日だった。

その日が来た。地味な上着に黒のパンツで出かけた。目立たないようにするのが一番だ。
「車は道路上のメーターには止めるな」と召喚状の注意書きにあったので、ある道路上のメーターのない場所に止めた。そこから裁判所までは歩いて15分。長年、この町に住んでいるのに、裁判所に出かけるのは初めてだった。秋晴れのすがすがしい日で、なんとなくウキウキしているような自分を発見する。予定通り、9時ちょっと前に着いた。


▲古い建物から移転し、1974年に建てられたオンタリオ州ロンドン市の裁判所

裁判所の14階に行くことになっている。行ってみて、驚いた。案内された大きな部屋の正面奥には、立派な椅子と机が置かれてあった。ここが法廷なのだと分かった時には、少しうろたえた。すでに300人くらいの人が座っているのは傍聴席だった。
「こんなにたくさんの人が!」と私はあっけにとられ、傍聴席に座った。
見回しても、知っている人は一人もいなかった。

そして、さらに驚いたことがあった。この300人ほどの市民の中で、東洋人はほとんどいないことだった。あとで分かったが、東洋人は私を含めて3人だけだった。しかも他の二人は20代の若さだった。きっとカナダ生まれなのだろう。

ざわざわした雰囲気の中で、東洋系カナダ人がいないのはどうしてだろうと考えた。多分、多くの東洋系カナダ人は、「一日裁判所で過ごすより、ビジネスの方が大切だ」と考え、質問状の英語に関する欄で、「英語わかりませーーん」の方にチェックマークを入れたのかもしれないのだと思った。傍聴席に座っているこの市民を眺めながら、自分は白人系カナダ人の町に住んでいるのだとつくづく思った。


▲裁判所の入り口

午前9時過ぎ。黒い長いガウンを羽織った中年女性(書記官)が入場し、口を切った。
「みなさん、ようこそ裁判所にいらっしゃいました。初めての方が多いと思います。裁判というものは陪審員がいなくては成り立ちません。今日はみなさんの中から陪審員になって頂く方を選びます。まず、この法廷について説明しましょう。一番上は裁判長の席。あなた方から見て、左は被告人と弁護士が座ります。右は検察官の席です。右の壁沿いには12席の椅子があり、そこに陪審員が座ります」

彼女の英語はゆっくりで、はっきりしていた。やさしい町の歯医者さんでもあるかのような、親しみのある人だ。彼女は300人ほどの出席をとる。番号の後に職業をつけて読み上げる。例えば、「3210銀行員」といった具合だ。それが自分だった場合は、「Present !」と返事をする。
私は自分の番号を見る。「8750インストラクター」である。今は退職しているが、「最後の職業を書け」とあったので、職業はインストラクターなのだった。自分の番号が呼ばれるまでドキドキの連続だった。

300人の中には、職業を「主婦」とした婦人がいた。書記官は彼女に聞き返す。
書記官「主婦って、誰が決めたの?」
50代の婦人「ええと、それは、夫に聞いて下さい」
みんなクスクス笑う。
書記官「以前にはそういう言い方もあったけれど、今の時世から言うと、『ホームメーカー』って言うんじゃないかしら?」
50代婦人「そうです。私の職業は、ホームメーカーにして下さい」
書記官のユーモアは傍聴席の雰囲気を次第に和らげて、出席取りは終わった。


▲法廷はこの建物の最上階(14階)にある。窓がない。同階の右側には小さい部屋が並んでいる

急にあたりの雰囲気がシーンとした。ある男性が女性弁護士と共に入ってきた。この人は、青と黒のチェックのコットンのシャツに、黒のトレパン。そして、灰色の袖なしジャケットを着ている。そして運動靴。彼は被告人席で止まった。弁護士に椅子を示されて座ると、彼は持っていた松葉杖を机の横に立てた。
「あの人は被告人なのだ」と理解できた。何かしらのショックを感じた。
「でも、どうして被告人が法廷に?」と自問する。
(この時点では、私には、ここで何が展開されるのか、全く見当がついていなかったのだ)

午前10時。法衣をまとった裁判長が入廷し、裁判長席に着いた。裁判長の挨拶みたいなものがあった。
「裁判は陪審員がなくては成り立ちません」
と、先に書記官が言ったことを繰り返した。
「陪審員になった方には、後でとてもいい体験ができたとおっしゃる方もたくさんいます。陪審員になるのは市民としての義務ですから、そのことをよく心得ておいて下さいね」
はっきりした口調だった。威厳ある中にちょっとしたユーモアもある。

また厳粛なムードになった。いよいよ、何か、裁判らしきものが始まるようだ。書記官は紙を見て読み上げる。
「裁判長ケヴィン・シャピロ。被告人ビリー・グラント。弁護士マックス・アンダーソン。弁護士ルイーズ・マクゲインティ。証人としてアマンダ・リッチモンド、証人としてジェニファー・ハットン」
こう読み上げると、書記官は傍聴席に向かって質問する。

「もし、あなたが、今、読み上げられた人々と知り合いだったり、何らかの事情でこれらの人のことを知っている人は、前に出てきて下さい。あなたは、この裁判の陪審員になることから免除されます」
知人、友人が裁判に関わっていれば、陪審員としては裁判に公平には望めないという理由なのだ。前に出て来る人はいなかった。

被告人は立つように言われた。書記官は起訴状を読む。
「当被告人は、1999年5月xx日、マーガレット・コリンズ(当時13歳と8カ月)の身体に触り、強制わいせつ罪を働いたということですが、あなたは有罪を主張しますか、無罪を主張しますか」
被告人は答える。「無罪です」

書記官は続ける。
「当被告人は、2002年10月xx日に、クリスティ・マックス(当時12歳半)の身体に触り、強制わいせつ罪を働いたということですが、あなたは有罪を主張しますか、無罪を主張しますか」
被告人「無罪です」
書記官は、傍聴席に向かって聞く。
「新聞やラジオ、テレビを通して、この事件についてすでに知っている人は前に出てきて下さい。そういう人はこの裁判の陪審員になることから免除されます」
この事件についての情報をすでに得ている人も公平な裁判は望めないということで、免除されるのだが、誰も前に出て来る人は、いなかった。

起訴状が読まれた時点で、私は何かで胸をドーンと打たれたように感じていた。簡単に言えば、これは2回に及ぶ少女レイプ事件なのだ。これは映画じゃないんだ。こういうことが誰かの日常で起こったかもしれないのだ。目と耳とをふさぎたくなる事件が、私の目の前に大きく突き出された。

年老いた
曲がる被告の
背の上に
手をかけ添える
若き弁護士

(来週号に続く)

【おことわり=人名や事件内容はフィクション化しています】

(2013年12月12日号)



 
 


 
 
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