【ひと・インタビュー】

生まれ育った環境から自然な流れで・・・
バイオリン製作者、猪口美樹さん


物心がついた頃から、バイオリンの材料や工作用の木々が手の届くところにあった。ごく自然にそれらに触れ、育ち、なるべくしてなったバイオリン製作者、猪口美樹(いのくち・みき)さん。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。心の葛藤もあった。

そう、父親の猪口正敏(まさとし)さん(通称マサさん)はカナダで初めての日本人バイオリン製作者として知られている。さらに美樹さんの母方の祖父、岩下猛太郎(いわした・もうたろう)さんもバイオリンを製作していたことから、親子3代続いていることになる。

美しい樹木、という意味の美樹さんの名前はまさに家族の深い願いがこめられた名前であろう。トロント・ノースヨークにある美樹さんの工房を訪ねて、バイオリン製作への秘めたる思いをうかがった。


▲バイオリン製作について語り出すと止まらない、猪口美樹(いのくち・みき)さん

メープル求めて家族でカナダに移住

バイオリンの材料は98%がメープルで、残りがスプルースだそうだ。そのメープルを求めて猪口一家がカナダに移住したのは1969年。美樹さんが10歳のときだった。 「父は福岡県の高校で教師をしていて、先輩教師の祖父の影響でバイオリン作りを始めたんです。教え子がカナダに移住していて、『先生、カナダにはいいメープルの木がたくさんありますよ』という情報を得て、さっそく、まずは単身でトロントへ来たのです」


▲若かりしころの父、猪口マサさん

情報通りの素晴らしいメープルに魅せられた父マサさんは移住を決心。1年後に母捷子(しょうこ)さん、美樹さん、妹2人がトロントに来て合流。その後、祖父の岩下猛太郎さん夫妻、叔父、叔母たちもカナダに移住、大家族が誕生した。

昼間は木を切り、夜は野菜を切る!?

「門前の小僧,習わぬ経を読む」ではないが、小さいときからマサさんの楽器製作をそばで見ていた美樹さんは生まれつきの器用さもあって、自然に楽器製作に興味を持つようになり、14歳の頃、初めてギター製作にたずさわった。
高校卒業後、いったん精密機械製作所に入り、数年、他人のところでの仕事を経験した。

「バイオリン製作を一生の仕事としてやろう、と決心したのは22歳のころですね」。心にはいろいろな葛藤があった。家族だからこそ学べるメリット、反対に遠慮のない甘えからくる対立など。さらに家計の問題も大きい。果たして,経済的に成り立つだろうか、という不安もあった。

母捷子さんが始めたおそば屋「しょうこそば」を手伝いながらバイオリン製作に励むという二足のわらじをはく生活が16〜17年間続いた。「昼間は木を切り、夜は野菜を切る」と、笑いながら当時を振り返る美樹さん。


▲バイオリンの中に立てる魂柱(こんちゅう=手に持っている小さな棒)の位置がいかに大切かを説明

大量の修理を請け負って多くを学ぶ

「しょうこそば」が閉店されたあと、美樹さんはトロントの大手楽器店とバイオリンのセットアップや修理の仕事を請け負った。これが大いに勉強になったという。
「ヨーロッパなどから輸入された学生用のバイオリン数千台を1台ずつ、セットアップする仕事です。たとえば、バイオリンの表板と裏板の間に細い棒(魂柱=こんちゅう)を入れるのですが、その位置が0.5ミリ違っても音がぜんぜん違うのです。この仕事を経て、いかに魂柱の位置によって音が違うかを学びました」
まさに魂(たましい)の柱である。現在も、この仕事は続けているそうだ。

30年と4カ月  

必ず聞かれる質問で「バイオリンを製作するのにどのくらいの期間がかかるのですか?」というのがある。そんなとき、美樹さんは「30年と4カ月」と答えるそうだ。30年はメープルの木を乾燥させる期間。4カ月は実際に製作し、塗装をほどこして仕上げる期間。工房には30年間乾燥させた木材がずらり出番を待っていた。


▲天井近くまでぎっしり、バイオリンの材料となるメープル。30年間乾燥させたものも多いという

「実際には最低5年間乾燥させた材料で製作できますが、乾燥期間は長ければ長いほどいいものができます」
これまでに手がけたバイオリンはざっと140〜150台。そのほか、ビオラやチェロ、コントラバスなども数は少ないが製作にたずさわっている。

「製作したすべての楽器は自信作です」と断言する美樹さん。逆に言えば自信のない作品は市場に出せない、ということだ。
「新作の楽器はすべてトップクラスの演奏家に試奏してもらい、魂柱や駒(こま=4本の弦の支え)の位置も調整して最終的に初めて完成した楽器となるのです」


▲工房には製作中のバイオリンから完成したものや、思い出の写真などが並べられている

「バイオリンのような楽器は最初から最後まで全部ひとりで製作されていると思われがちですが、分業作業も多いのです」ということで、これまでもマサさんとの共同作業も多かった。81歳のマサさんは今でもバリバリの現役。今後は「MASA & MIKI INOKUCHI」ブランドを立ち上げるそうだ。

現在、ニューヨーク、シカゴ、ボストンなどの楽器店からも注文を受けている。

思い出深い「コーナーレス・バイオリン」

バイオリンを製作する過程で、数ある思い出の中で特に印象的なのが、トロント交響楽団のメンバーの1人から「コーナーレス・バイオリンを作ってみないか」と言われて製作したこと。バイオリンのほぼ中央のくぼみにある4つのコーナーを取り除いた洋梨型のバイオリンである。あまり一般的ではないが、昔からある製作法のひとつだという。


▲普通のバイオリン(左)とコーナーレス・バイオリン(右)

「15年ほど前、父のマサが音を作り、私が完成させたコーナーレス・バイオリンを当時若手バイオリニストとして注目をあびていたロシアのMaxim Vengerov(マキシム・ベンゲロフ)さんが彼のミュージック・ビデオで使ってくれたのには驚きました。とてもうれしかったです」

そのほかマサさんを通じていろいろな有名演奏家との交流も多い。イスラエル出身のバイオリニストで、現在はオタワ国立芸術センター管弦楽団の音楽監督、Pinches Zukerman(ピンカス・ズッカーマン)さんをはじめ、多くの有名バイオリニストやチェリストが美樹さんたちが製作した楽器を手にしている。その範囲は広く、カナダだけでなく、アメリカ、イギリス、フィンランド、ドイツ、ハンガリー、台湾、日本などの演奏家に使われている。

古い楽器ほど価値を認められがちだが・・・


400年以上前に作られた楽器、バイオリンはすでに完成された楽器である。楽器そのものは簡単な作りだが、材料、製法によって微妙な違いがでる繊細な面を持っている。「たとえば、仕上げの塗装一つを取っても塗り方によって音が違ってくるのです」と。


▲「仕上げの塗装によっても音色が違ってくるのです」

また、「一般的にバイオリンは古い物ほど価値が認められがちですが、本当のところわからないのです。演奏者の気持ちの入れ方にもよるのです」。もっとも知られているバイオリンの名器、ストラディバリウスでも、名前で「素晴らしい音色」と感じる人も多いのではないか、と言う。「もし、ブラインド(目隠し)で演奏を聞いて比べてみて、必ずしもストラディバリウスのほうがいいと判断するかわからないですよ」

とはいえ、「手入れをすればするほど、長く使えるのがバイオリンです。もっとも新品もどんどん使ってもらわないと困るのですが・・・」

運命を自然に受け入れた結果の情熱

環境からなるべくしてなったバイオリン製作の仕事だが、やればやるほど奥の深さに気づかされる。「いろいろ親子ならではの意地や葛藤がありましたが、やっと最近、父の仕事を認めることができました」。裏を返せば、それだけ美樹さんも自信が持てるようになったのだろう。


▲自作のバイオリンを手にじっと見入る美樹さん

「休みの日でもつい、工房に来て材料の木をいじっているんですね」。そしてバイオリン製作についても「話し出すとキリがない」というほど熱っぽく語る。確かにこれも親ゆずりと見受けられる。

最後に気になる質問をひとつ。「美樹さんの後継ぎはいないのですか?」
「子供は娘2人なので、私の代で終わりです。しかし、これまでに作ったバイオリン、さらにこれからも作るバイオリンが世に残ります」

本当のバイオリンの価値はストラディバリウスではないけれど、100年後、200年後かもしれない。いつか「MASA & MIKI INOKUCHI」ブランドの名器が演奏家の間で評判になる日がくることだろう。

www.inokuchiviolin.com

*猪口美樹さんの連絡先:info@inokuchiviolin.com

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【インタビューを終えて】
美樹さんが余談として興味深い話をしてくれました。
「大正12年(1923年)関東大震災のときに上野公園で被災した人たちを慰めるため、バイオリンを弾いた人がいたのです。その人が祖父、猪口福次郎だったんです。当時の東京市長だった後藤新平さんから褒美の杯(さかずき)と賞状をもらったそうです」
どこまでもバイオリンに縁のある方なのです。
バイオリンの値段のつけ方について、うかがってみました。いわゆるマーケットバリューが幅をきかせる世界。美樹さんの製作した作品は3段階の値段がつけられています。ひとつは学生用で$3,000、中間は$6〜8,000、プロ用は$1万6,000〜2万だそうです。
ずいぶん昔にマサさんにバイオリン製作についてのインタビューをしたことがありました。そのとき、「息子がやっと後を継ぐ気持ちになったようで・・・」と、うれしそうに話され、胸があつくなったのを思い出しました。

〈取材・いろもとのりこ〉

(2014年2月27日号)
   



 
 


 
 
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