【バンクーバー総領事館125周年】

岡田総領事「初期の日本人移民」について講演
「当時領事館の主な仕事は人種差別の問題処理だった」


在バンクーバー日本国総領事館は今年開設125周年を迎え、年間を通してさまざまな記念イベントを行っている。その一環として「二つの歩み〜日本外交と日系人の遺産〜」と題する同総領事館主催の6回にわたるフォーラムが企画されているが、第一回「初期の日本人移民:19世紀後半〜20世紀初頭」の講演会が、3月28日にバンクーバー日本語学校で開かれた。


▲第一回講演会で、初期の日本人移民について語る岡田誠司バンクーバー総領事

第一回目は岡田誠司バンクーバー総領事が講師を務め、1889年カナダにおける日本最初の在外公館として開設された在バンクーバー日本国総領事館について、当時の外交文書の検証をもとに、その時代のスライドを通して説明が行われた。


▲バンクーバー領事館開設当時、現地と東京本省との間でケーブルでやり取りされた手紙


▲1889年(明治22年)6月22日、バンクーバーのハウ・ストリート(609 Howe Street)に開設された日本国領事館。左手前に日の丸の旗が見える


▲1889年、日本国領事館開設時の領事長、杉村濬(すぎむら・ふかし)


▲1880年、日本からの最初の公式海軍練習船「つくば丸」


▲当時の日本からの貨物船


▲1897年、スティーブストンに建てられた日本人病院


▲1907年、伏見殿下バンクーバーご訪問歓迎会

【岡田総領事の講演の要旨】
今年、総領事館開設125周年を迎えるにあたり、東京本省との何回ものやり取りで、当時、ケーブルによる手紙などから資料を集め、まとめました。1889年(明治22年)6月22日に杉村濬(すぎむら・ふかし)領事を長として在バンクーバー日本国領事館がバンクーバー市のハウ・ストリートに開設されました。
当時はまだ領事館(現在は総領事館)でしたが、最も古い歴史を有する日本の在外公館のひとつでもあり、カナダに設置された日本政府機関の第一号だったのです。
開設当時の領事館のメインの仕事は人種差別に対する問題処理でした。その当時、バンクーバーには日系人がすでに200人ほどいたのです。この時代には中国からの移民には50ドルという人頭税がかけられていて、それが200ドルにすべしという州議会の議論の過程で、日本人にも人頭税をかける話が持ち上がりました。
そこで、杉村濬はそれを何とか回避するため、日本人と中国人のスキルなどのちがいについて説得したり、東京のメディアを動かすべく外務省に進言し、また、日本の移民を安定して継続するために民間の移民斡旋会社を作ることも進言しています。 そして移民してきた日本人に対しては、次の点を慫慂(しょうよう)しています。
第一はカナダに定住。第二、英語を学ぶ。第三、クリスチャンになること。第四、稼いだ収入をギャンブルなどに使わず、貯金して生活のために使うこと。
かくして、人頭税を免れることが出来たのですが、実際に仕事を得るのは大変なことでした。バンクーバー島ナナイモに大きなマイニング(鉱山)の仕事があったのですが、中国人とカナダ人の労働者が大勢いて、日本人はシャットダウンされるということもありました。日本人の方が仕事の経験もあるし事故を防ぐことなど知識もあったのですが、経験者の少ない中国人は事故など恐れずに仕事に従事し、事故も多かったのです。
以上のように、領事館開設当時は人種差別の対処が大きな問題でした。

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講演会の後半は、Ann Lee と Gordon Switzer 夫妻により、ブリティッシュコロンビア州における日本人とカナダ人の最初の接触、そして同州における最初の日本人コミュニティーの発展について、スライドを用いて説明があった。


▲講演後半のスピーカー、Ann Lee と Gordon Switzer 夫妻

「1834年、小さな貨物船に乗って、初めての日本人二人がカナダに着陸」から始まり、日系コミュニティー、仕事、生活など当初のあらゆる場面を紹介していった。

いずれのスライドも貴重な日系歴史資料であった。

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次回第二回目の講演会は「家族移民と日系コミュニティーの拡大:20世紀初頭〜戦前」と題して、ジム小嶋氏の講演が、5月23日(金)スティーブストン・コミュニティーセンターで行われます。

〈 取材・妹尾 翠 〉

(2014年4月24日号)



 



 
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