米独立戦争時代の史跡にふれる
マサチューセッツ州ボストン


〈 オンタリオ州ロンドン市 ウィルソン夏子 〉

知人に会うという以外、特別な目的はなかったけれど、ボストンへ行った。旅の中の旅だったので、夏の間滞在したケープコッドのプロビンスタウンから80人ほどの乗客とボストン行き高速フェリーに乗る。秋晴れで、さわやかな風を受け、帆かけ船が点在する青い大西洋をフェリーは滑るように走った。1時間半後、向こうに高層ビルが見えてくる。

「久しぶりの大都会だぁ」と私の心は、はしゃぐ。ある目的地に向かってフェリーが近づいていく数分は、いつもドキドキさせられる。イタリアのベネチアに入った時にも、また、宮島の厳島(いつくしま)神社に近づく時も味わった同じような、わくわく感。これから過ごす一泊二日が楽しくなる。


▲港の埠頭に入るフェリーから見たボストン市街

フェリーを降りると、迎えに来てくれていた知人の車で、まずランチをするためのレストランをさがす。知人は駐車場を見つけるために、30分ほどダウンタウンを走り回る。偶然、ボイルストン・ストリート(Boylston Street)に出た。

「この通りで、爆破事件が起きたのよ」と知人は言ったので、私は、すっかり忘れていたボストンマラソン爆破事件を思い出すことになった。2013年4月15日午後3時前、ボストンマラソン大会のランナーのゴール付近で、爆破物が仕掛けられ、死者5名、負傷者282名が出た大事件だ。アメリカではたびたび爆破事件が起こったりしているので、私の記憶からボストンマラソンのことはほぼ消えかかっていたのだ。

ボイルストン・ストリートを通ってみると、この通りはボストン市内を東西に走る主要道路なのだと分かった。知人はあらゆる道路や路地を走り回るが、車を止めるような場所はない。仕方がないので、カプリースクエア付近の公共の駐車場に入れた。

「この辺りが、爆発が起きた現場よ」という知人の声で、私はテロリストの残酷さにひるんだ。ここはボストンの中心街なのだ。テレビでこのニュースは見ていたが、実際に来てみると、現場と自分との距離が狭まり、犯人の意図があからさまに見え、恐ろしさがつのった。

さて、食事と買い物の中心地、バックベイの付近でランチを済ませ、1時間半後に戻ると、駐車料金は30ドルとなった。「わあ、高い!」ボストンの生活費の高さはアメリカでも上位に入ると聞いて、納得した。


▲日曜日、人でにぎわうバックベイの繁華街

ランチの後、泊まるホテルに向かった。一般にボストンのホテル代の高さはニューヨーク並みか、それ以上で、適当なホテルを探すのは容易ではない。そのために、ボストン行きはあきらめようと言っていたくらいだった。
だが、「quikbook.com」というウェブサイトで適当なホテルが見つかった。ボストン・パークプラザホテル。一泊300ドル以上というホテルが多い中で、ここは168ドルという値段だった。


▲ボストン・パークプラザホテル

チェックインしてみると、かなり立派なホテルだった。室内のパンフレットを読んでみると、ここは、そろそろ人々が旅行というものを楽しむようになり始めた1920年代に、格安の値段で提供するチェーンホテルのはしりとして1927年に建てられたそうだ。
当時はスタトラーホテルと呼び、各部屋にラジオを供えたホテルとして知られたそう。今回、格安の理由は「ただ今工事中」ということだったが、私たちの部屋は静かで「お買い得」であった。


▲右側は鏡に映ったホテルのロビーの一部

ホテルを出ると、すぐそばに、ボストンコモン(Boston Common)と呼ばれる公園がある。ここはアメリカで一番古い公共の公園だという。
「まあ、若い人の多いこと!」
ボストンには数々の大学があり、有名なバークリー音楽大学もある。その学生の総数はボストンを活性化する大きな財政源になっているそうで、この学生の数を見て納得できた。


▲ボストンコモン公園で初秋を楽しむ若者たち

遠くで誰かが演説をしている。近づくと、「このマサチューセッツ州でもマリフアナ(大麻)を合法化しよう。マリフアナ所持を犯罪とみなすのは、もはや時代遅れだ」という主旨の集会をしているのだった。

「へえ。ここはやっぱり若者たちの町なんだなあ。でも、マリフアナを合法化したら、この学生社会はどうなるのかしら?」と思うけれど、言論は自由。口で意見を述べることは、アメリカ建国以来、食べて寝ると同じくらい重要とみなしている国なのだ。


▲ボストンコモン公園の池

このボストンコモン公園は、1634年、イギリスからの清教徒が集まって集会や演説の公共の広場となったことから、コモンと呼ばれるのだそうだ。1817年までは死刑場としても使われたそうだ。訪れた日は、サクソフォンを吹いたり、寝そべっている人もいた。池では、スワンボートが客を乗せて遊覧している。

夕方、知人宅での夕食に地下鉄で行く。ところが自動券売機での買い方がよく分からない。幸い係員が立っていて、手伝ってくれた。しかしその切符を機械に入れても、改札口が通れない。やっぱりその人に手伝ってもらって、やり直す。切符の方向が逆だったらしい。しかし無事通り抜けても、「ちょっと、ちょっと!」と呼びとめられる。「その切符は、次の人に渡して!」と、待っている夫をあごで差す。一枚の切符で二人が使用できるように係員が買ってくれていたなんて、誰が知ろう。

地下鉄は、とてもゆっくりで、悪いことに行き先を示す車内の掲示板は、どこに止まっても、「Next Stop」というサインのままだった。これじゃあ、降りるべき駅が分からない。運転手さんに駅名を言い、降ろしてもらうことにした。
ボストンの地下鉄網は、1897年、アメリカで一番最初に設けられたそう。だからなのか、「何か古い」感じがした。


▲路上に出てくる地下鉄

この記事で、私はすでに「古い」という形容詞を3度も使ったが、確かにボストンはアメリカの古都のひとつである。特に町の北部のノースエンドはボストンの最古の地域であり、一連のアメリカ独立の史跡を歩いてたどることができる。これは「フリーダム・トレイル」と呼ばれ、観光客の人気を呼んでいる。

翌朝、タクシーで私たちも街の北に向かった。途中、タクシーの窓からマサチューセッツ州議会議事堂を見る。ここはジョン・F・ケネディが大統領に就任する前に議員として出入りしていたという。金色のドームに親しみを感じる。


▲マサチューセッツ州議会議事堂


▲現存するボストン最古の教会、オールドノース教会

オールドノース教会は、1723年に創立された現存するボストン最古の教会である。この教会が有名になったのは、1775年、ポール・リビアがアメリカ独立戦争の直前、教会の尖塔にふたつのランタンが掲げられたのを見て、イギリス軍の侵入を感知し、植民地軍に知らせるため馬を走らせたという史実があったからである。ポール・リビアは、カナダのローラ・シーコード(1812年戦争の英雄)に相当する人かもしれない。


▲オールドノース教会の前の広場にあるポール・リビアの像


▲教会の広場に建っているアジッシのフランチェスカの像

教会の広場にはアジッシのフランチェスカの像がある。ノースエンド地区に住むあるセクトに属するイタリア系移民のために建てられたものだ。肩のあたりのコケに、日本のお地蔵さんを思い出した。


▲昔のマサチューセッツ州議会議事堂 

町を歩いていると、ビルの中にたたずむ奇麗な建物に出会った。昔の州議会議事堂なのだという。1713年創立で、ボストンで現存する最も古い公共の建物でボストンの名所旧跡の一つと分かった。

私たちには全部を歩く時間もないので、フリーダム・トレイルはつまみ食いすることになった。知っていると思っていたけれど、全然知らなかったということが分かったボストン。夫は、学生時代をこの街で送っているにもかかわわらず、これらの名所旧跡を初めて見たそうだ。行けば行くほど、深みが分かってくるだろうなという予感がする町、それがボストンだ。

枝豆と
色濃くしぶい
赤ワイン
道行く人も
ややゆっくりと 

(2014年10月16日号)



 



 
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