【桜ガラ】

杉原千畝氏とユダヤ人コミュニティーに感謝状
「6000人の命のビザ」発給した杉原氏の子息が出席


11月22日(土)夜、トロント日系文化会館(JCCC)で開かれた第6回「桜ガラ」は、日系人とユダヤ系人らで会場は埋め尽くされた。出席者はおよそ410人と発表された。
今回は、第二次世界大戦中、ユダヤ人に「6000人の命のビザ」を発給したリトアニア駐在の日本人外交官・杉原千畝(すぎはら・ちうね)氏と、戦後トロントで日系人を支援してくれたユダヤ系人に桜アワード(感謝状)を贈るというプログラムが企画されたイベントであった。


▲「桜ガラ」にベルギーから出席した杉原千畝氏の四男、伸生(のぶき)氏とエシン夫人(トロント日系文化会館JCCCギャラリー「杉原千畝展」会場にて)

杉原千畝氏は1986年に他界しているため、「桜ガラ」にはベルギー・アントワープでビジネスをしている四男の杉原伸生(のぶき)氏がエシン夫人と共に出席した。

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永田社中の和太鼓演奏で開幕。CBCの人気番組「Fresh Air」のホスト、メアリー伊藤さんの司会で、まず、イスラエル、日本、カナダの3カ国の国歌斉唱でスタートした。


▲開幕にあたりイスラエル、日本、カナダの国歌斉唱 (JCCC小林ホール)


▲特別ゲスト(左から)D・J・シュニーバイス駐トロント・イスラエル総領事、キャサリン・ウィン・オンタリオ州首相、奥田紀宏駐カナダ日本大使、ゲーリー川口JCCC理事長

特別ゲストのキャサリン・ウィン・オンタリオ州首相、D・J・シュニーバイス駐トロント・イスラエル総領事、奥田紀宏駐カナダ日本大使らがスピーチを行った。
ゲーリー川口JCCC理事長は、「今夜は、戦時中ユダヤ人に支援の手を差しのべた故・杉原千畝氏のご子息が出席されたことを心から歓迎する。また、戦後、ユダヤ人が日系コミュニティーを助けてくれた。ユダヤ人の会社でじつに多くの日本人が雇われ、仕事ができたことを一生忘れない。我々はカナダで異なる文化を愛することを学んだ」と感謝の言葉を述べた。


▲ロン・デービス率いるジャズバンドと永田キヨシ和太鼓グループ「永田社中」がコラボ演奏を披露

ディナーは、日本レストラン「江戸」の美味しい料理を味わい、ジャズと太鼓のコラボレーション演奏、オークション、ゲームなどを楽しんだ。

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表彰式では、戦後、トロントのスパダイナ街で服のデザイン縫製会社「ニューモード・ドレスカンパニー」を経営していたユダヤ人、ヘンリー・ザグダンスキー氏の功績が紹介された。ザグダンスキー氏は戦争でユダヤ人と同じ苦しみを経験した日系カナダ人に対して積極的に支援した。


▲ヘンリー・ザグダンスキー氏への桜アワードを手に、ザグダンスキー氏の親族

彼の会社では多くの日系人が雇用され、社内のさまざまな部門に配置された。おかげで日系人は人種差別の心配をせずに仕事に励み、安心して日々の生活を送ることができたという。ザグダンスキー氏の家族に桜アワード(感謝状)が贈られた。

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次に、杉原千畝氏の四男、伸生氏に桜アワード(感謝状)が贈られた。千畝氏は周知の通り、戦時中、リトアニア国カウナスの日本領事館で外交官として勤務していたが、ナチスドイツの迫害にポーランドから逃れてきたユダヤ人に日本へのビザを大量に発給した人物である。当時、日本は日独伊三国同盟を結んでいたため、日本政府は杉原氏のビザ発給を許可しなかったという。だが、1940年の夏、領事館の周囲を取り囲んで日本へのビザを懇願するユダヤ人避難民を見て、杉原氏は独断で手書きの日本通過ビザを発給した。


▲強制収容所行きの列車に乗るユダヤ人たち。このあと多くの人がガス室で処刑されたといわれる(JCCCギャラリーの展示写真より)


▲杉原千畝氏が発給した手書きの日本通過ビザ。「査証 敦賀上陸 昭和十五年八月九日 カウナス領事代理 杉原千畝」の文字とスタンプが見える

このころ戦況悪化のため日本政府はカウナスの領事館を閉鎖した。しかし杉原氏は駅のプラットフォームで発車する汽車が動き出してからも汽車の窓から手書きのビザを書いて手渡したというエピソードがある。杉原氏はたった1カ月ほどの期間であったが、およそ2000件のビザを発給した。ビザは家族にも有効ということで、総計6000人以上の命を救ったことになる。
これがのちに人道的行為として多くの人々からたたえられるようになった。戦後、1946年、杉原氏は外務省から解雇された。以後、しばらくの間、良い仕事に就くことができなかった。彼は、解雇の理由はあのビザ発給問題にあるためだと理解していたという。


▲桜アワードを手に、杉原伸生氏(中央)。左はゲーリー川口氏。右はデービッド坪内「桜ガラ」共同実行委員長(元オンタリオ州政府の大臣)

杉原伸生氏は、英語と流ちょうなヘブライ語でスピーチを行い、「父の残した業績を誇りに思う。きょうトロントでこのような名誉あるイベントを開いていただき感謝しています」と述べ、満場の出席者から大きな拍手が送られた。

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この日、会場に老齢の女性の姿があった。エタ・ハイーム(Eta Chaim)さん、96歳。エタさんは日本レストランチェーン店「江戸」の経営者、バリー・ハイーム氏の母親である。バリー氏はエタさんを車椅子で押しながらハイーム・ファミリーのテーブルへ。ここに着席、親族揃ってディナーを取った。


▲ハイーム家の人々。エタさんと(後列右から)息子のバリー氏、バリー氏の息子デービッドさん、バリー氏の弟サム氏

バリー氏の説明によると、母エタさんはドイツ生まれのユダヤ人で、戦争でナチスによってポーランドのアウシュビッツ収容所に強制連行された。その後も収容所を転々と連れ回され、全部で7カ所の収容所を巡ったという。やがて終戦。戦後に結婚。カナダに渡り、子供たちや孫たちにも恵まれ、幸せな余生を過ごしている。
バリー氏は「母があの収容所から生きのびて来られたのは、奇跡としか言いようがありません」と感無量の表情で語った。

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なお、JCCCギャラリーでは12月24日まで「杉原千畝展」を開催しているので、ご覧になることをおすすめしたい。


▲1985年、東京のユダヤ人コミュニティーセンターでイスラエルのイツハク・シャミル首相(この時は外相)と会見した杉原千畝氏(左から2人目=当時85歳)。左端は幸子(ゆきこ)夫人(JCCCギャラリー)


▲杉原千畝氏の写真の前で「Visas for Life Foundation」(命のビザ基金)の運営に携わっている赤堀アン星子さん(米カリフォルニア州サクラメント在住)


▲赤堀アン著「The Gift of Life」。左側の本は杉原幸子夫人が書いた日本語版「命のビザ」(JCCCギャラリーの展示物)

〈 リポート・色本信夫 〉

(2014年11月27日号)



 



 
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