戦後70年を迎えたハワイ真珠湾
パールハーバー・ツアーに参加し「戦争」を考える


〈 トロント 松井祐実・記/ 写真撮影:Richard Severin 〉

12月7日はパールハーバー・メモリアルデー。毎年この日、ワイキキの街中では夕方からパレードが行われる。パレードは6時からとのことだったが、なかなか始まらず、6時30分を過ぎた頃にやっと最初のパレードの部隊がやってきた。 約1時間にわたるパレードで、しかも夜に行うパレードは初めてということだった。


▲パールハーバー・メモリアルデーのパレードで、エアーフォースも登場した。たくさんの人で賑わっている

一般市民のパレードに加えて、軍隊のパレード、派手なオープンカーに乗った元戦争軍人たち、エアーフォースや消防車、バイクの軍団など何でもパレードに参加していた。私個人的にはパレードに対してもっと期待していただけにちょっとがっかりしたというのが本音である。
パレードが行われる何日か前に、ツアーに参加しパールハーバー(真珠湾)を訪ねた。


▲有名なアリゾナ記念館。海上に浮かんでいる白い建物がとても印象的だ

まず、アリゾナ記念館の見学。ここでは最初に約20分、真珠湾攻撃に関するドキュメンタリー映画を見ることになる。チケットに映画を見るための指定時間が書かれていて、その時間に入らないといけない。すでにたくさんの人が並んで待っていた。

ドキュメンタリー映画は私の偏見かもしれないが、見るからに、裏切り者の日本人というような感じで悪く描かれているような気がした。これを見た日本人は気分を害して罪悪感を感じるかもしれない。逆にこれを見たアメリカ人は日本人をとても悪く感じるような気がする。


▲海面下には今も戦艦アリゾナが眠る

映画を見終え、専用ボートで約10分、アリゾナ記念館へ渡る。アリゾナ記念館はパールハーバーの海上に建設された慰霊塔で、真っ白い建物が印象的だ。慰霊塔から海底を見下ろすと1,177名の乗組員が眠っている戦艦アリゾナが沈没している様子をはっきりと見ることができる。70年以上たった今でも、油が水面に上がって、とても油臭いにおいが漂っている。

2、3日後にはメモリアルデーであるということもあり、生存している元戦争軍人が何名か記念館を訪れていた。すでに90歳になるのではなかろうか。記念館に15分ほどいた後、専用ボートで対岸へ戻る。


▲USS ボーフィン潜水艦


▲旧日本海軍の特攻兵器・人間魚雷回天。これに日本軍兵士が入り自爆していた


▲「ワレ奇襲に成功セリ」と日本軍が攻撃成功を伝えた電信が資料館を入ってすぐのところに旧日本軍のゼロ戦のオブジェと共に展示されている

パールハーバーに戻り、太平洋歴史公園を見て回る。まず、USSボーフィン潜水艦博物館公園にはUSSボーフィン潜水艦などがある。USSボーフィン潜水艦は別料金だったため、中を見ることはできなかったが、公園内には旧日本海軍の特攻兵器・人間魚雷回天、潜水艦救難艇なども展示されていて、見ごたえがある。


▲第442連隊戦闘団。アメリカ本土、ハワイに住む日系人を集めたアメリカの戦闘団。日本人の血を引きながらアメリカ人として戦場に赴いた兵士たちはどんな思いで戦ったのであろう

続いて第二次世界大戦に関する資料館へ行ってみることにする。「Road to War」という資料館では暗号解読機、戦艦アリゾナの模型、空母赤城の模型などの展示や吉川猛夫・海軍少尉というハワイに送り込まれた日本軍のスパイの写真もあり、「Attack Gallery」の資料館には「ワレ奇襲に成功セリ」という日本軍が攻撃成功を伝えた電信「トラトラトラ」の展示、第442連隊戦闘団の大きな写真があった。

第442連隊戦闘団の写真を見ると、日本人のような顔つきの人たちが大勢いた。これはアメリカ本土、ハワイに住む日系人を集めた戦闘団であった。日本軍の真珠湾攻撃の後、アメリカやカナダをはじめ世界の多くの国でたくさんの日本人/日系人が、身柄を拘束され、財産をすべて没収され、集団キャンプに強制収容された屈辱的事実がある。

その上で、当時のアメリカ大統領であったルーズベルトが敵国の日本人、日系人の中からアメリカのために戦う兵士を募ったという矛盾した政策をとり、出来上がったのが第442連隊戦闘団であった。日本人の真面目さと戦闘における優秀さを無視できなくなったというのが本音のようである。

アメリカ本土の日本人、日系人は当時かなりの虐待を受けていたことがあり、応募者は少なかったが、それに反して、ハワイに住む日本人、日系人は本土の10倍近くの応募者があったという。
当時、日本人、日系人で経済が成り立っていたハワイにとって、日本人は重要な存在であったことから収容所送りとなった日本人、日系人の数はごくわずかであった。

だから特に日系2世は日本人という気持ちよりも自分はアメリカ人であるという考えのほうが強かったようである。結果的に第442連隊戦闘団は米陸軍史上最強の部隊、アメリカ合衆国史上もっとも勲章を受けた部隊として知られている。さらに2010年10月には、民間人に与えられる最高位の勲章である、議会名誉黄金勲章をオバマ大統領から授与されている。


▲戦艦ミズーリ。圧倒されるほど大きな戦艦


▲まさにこの場所で連合軍と日本政府との間の降伏文書が調印された、記念のプレートである(戦艦ミズーリ)


▲1945年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ艦上で行われた降伏文書の調印式(アーカイブサービスより)

次は戦艦ミズーリへ。まず巨大な戦艦ミズーリに圧倒される。階段を上り入り口に入ると、ガイドが待っていて、何人か集まったら、まとめて案内をしてくれる。日本語のガイドもいるそうだ。

戦艦ミズーリの甲板に出ると、真珠湾攻撃で撃沈されたアリゾナ号が見える。そういえば、アリゾナ記念館にいたときに遠くに戦艦ミズーリが見えるなと思っていたのだが、なぜだかお互いに向き合う形で停泊している。

戦艦ミズーリは、終戦後すぐの1945年9月2日、東京湾に停泊し、甲板上で連合国側と日本国政府の間で降伏文書の調印が行われた場所として有名な戦艦である。また、戦艦ミズーリは太平洋戦争から朝鮮戦争そして湾岸戦争と1992年3月まで現役で活躍したとのことだ。

戦艦ミズーリの前方右舷の甲板には、降伏文書の調印式の模様が随所に展示されている。また、水兵の食堂や厨房など、全部ではないが艦内の部屋の一部も見学できるようになっている。


▲パンチボウルの丘には戦死した何万という数の人々が眠る

戦艦ミズーリを後に、ツアーバスはパンチボウル(Punchbowl)へ向かう。「パンチボウルの丘」とはハワイの言葉で「休息の丘」の意味を持つ。1949年に国立太平洋記念墓地としてオープンし、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで戦死した何万人という兵士が眠る丘である。

私は戦争を知らない世代であるが、パールハーバーを知ることによって、日本がパールハーバーを襲撃した事実が一方的に悪いことではないことを知った。日本を悪とするのは、アメリカが自分の戦争を正当化するために唱えた歴史観であり、日本とアメリカとの戦争は中国への利害が対立したために起こった。

とはいえ双方に責任があるのだが、原爆を使われ戦争に負けた日本は弱い立場である。二度とこのような戦争に突入することだけは避けてほしいと願う。

(2015年2月5日号)



 



 
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