日系人の遺灰を納める納骨堂
ブラジル金閣寺
法事をつかさどる97歳僧侶、大畑天昇氏


〈 リポート・色本信夫 〉

 ブラジルの旅。今回はサンパウロ南西の山の中にある「ブラジル金閣寺」をお参りしてきたお話です。TVジャパンの番組で見た人も多いと思われるが、あのお寺が、京都の金閣寺とそっくりの姿で建っていた。


▲ブラジル金閣寺 (10月28日撮影)

 お参りと言っても、サンパウロからそこにたどり着くまでが大変だった。ブラジル金閣寺は、サンパウロ市からおよそ30キロ離れた山中の町、Itapecerica da Serra(イタペセリカ・ダ・セーハ)に行き、そこから5キロほど山道を登った所にある。ちなみに「 Serra 」(セーハ)とは、ポルトガル語で「山/山脈」の意味で、「山の中のイタペセリカ町」ということになる。

 サンパウロから全行程をタクシーで行くといくらかかるか調べたら、けっこう高くつくので、断念。そこで、もっと安上がりで行く方法を考えた。まず、サンパウロ市内のメトロ(地下鉄)に乗って終点の Butanta(ブタンタン)駅まで行く。駅前のバス乗り場ではいろいろな地方に向けてバスが出ている。そこで地元の人に尋ね、「イタペセリカ・ダ・セーハ」行きのバスが来るのを待つ。

 やっと乗り込んだバスはサンパウロ市街地からだんだん山の中に入って行く。ちなみに、バス代はR$4.50(4レアル50センタボス=カナダドルで$1.50くらいかな?)。ガタガタ揺られること、およそ1時間。イタペセリカ・ダ・セーハに到着した。山脈に囲まれた地方の町としては人口15万人で、にぎやかな商店街もあって、けっこう大きい。ところが、この町から金閣寺までどうやって行ったらいいのか、分からない。

▲クボ洋品店の看板 ▲タカハシ雑貨店の看板



▲久保リュウジさん(右)と大城アキラさん(左)

 通りを歩いていると、「KUBO」とか「TAKAHASHI」といった商店の看板が目にとまった。こりゃあ、日系人のお店に違いないと店内に入る。案の定、日本語で会話が出来た。「クボ洋品店」の経営者・久保リュウジさん、「タカハシ雑貨店」のマネジャー・大城アキラさんが親切に応対してくれた。この町には、けっこう大勢の日系人が住んでいて、子弟のための日本人学校まであると聞かされて驚いた。

 「金閣寺まで歩いて行きたいが、どうやって行ったらいいですか?」と尋ねると、クボさんが「とんでもない。距離は5キロくらいですが、一人では危険です。山道で襲われるかも知れないから、タクシーを利用しなさい」と言うのだ。地元の人のアドバイスに従うのが賢明。彼らは、タクシー乗り場まで筆者を連れて行って、知り合いのタクシー運転手にポルトガル語で行き先を説明してくれた。


▲イタペセリカ・ダ・セーハの町からブラジル金閣寺に向かう山道

 タクシーは山道をぐんぐん登って行く。やはり、歩いてきたら、強盗に出くわさないまでも、体力がぐったり状態になっていたかも・・・と久保さんたちの忠告に感謝した。


▲ブラジル金閣寺入り口の門


▲日本人の名前が刻まれた墓石


▲キリスト教徒の遺骨が納められているのだろうか。十字架になっている 

 じゃ〜ん、ついに「ブラジル金閣寺」に到着。入り口から境内に入ると、日本人の名前が刻まれた墓石が所どころに立っている。ここの金閣寺は京都とちがって見学の観光客がぞろぞろ、という光景は見られない。ほんの数人の参拝客がチラホラ境内を散策しているだけだ。
 静寂そのもの。池の白鳥はのんびり泳ぎ、周囲の木々から野鳥の鳴き声が心地よく響いてくる。時折、大きな鯉(こい)が水面ではねる音が聞こえる。


▲池のほとりに神々しい姿を見せる


▲1階の壁面 


▲廊下から池を望む 

 ブラジル金閣寺の外壁は、本物の金箔ではなく、金色のペイントで塗装してあるそうだ。それでも、じっと眺めていると、ある種の神々(こうごう)しさが伝わってくる感じがするから不思議だ。屋根のてっぺんには金の鳳凰(ほうおう)まで付いている。池の周りをぐるりと巡って、水面に映るお寺を眺める。美しい。


▲1階の内部。日系人・日本人の遺骨が納められている


▲1階にある仏壇。この場所は狭くなったので隣接する円光寺で法事を行うようになった 


▲同じ敷地内にある円光寺から見た金閣寺。3階に日系人の家族が見学している様子が見える

 建物は1階、2階、3階まで、それに地下もあって、一般の人が中に入ることができる。ここに、日本人のほか、ブラジル人、中国人、韓国人などの遺骨が納められている。金閣寺の地下と1階には日本人・日系人だけで約3,000家族の遺骨が納められているという。2階では、キリスト教などの宗徒の遺骨が納められ、牧師が来て礼拝を行う。多民族国家ブラジルならではのお寺といえよう。

 寺務所からいただいた解説パンフレットによると、ブラジル金閣寺建設の構想は、日本からの移民が増えたブラジルの日系社会で、死者を葬る際、火葬を導入する動きが起きたことから始まった。こうした状況から、カトリック教が主流で土葬が一般的なブラジルで、南米初の火葬場がサンパウロに造られた。その遺灰を納める納骨堂として、金閣寺が建設されたのである。

 この構想を考えたのは、アメリカ人の退役軍人、アロンゾ・バイン・シャトック氏で、彼は第二次世界大戦の後、日本に15年間住んだことがある。彼は火葬場で生じた遺灰を納める納骨堂の必要性を痛感、サンパウロ市の日系人街リベルダージ地区の曹洞宗南米別院仏心寺に協力を要請した。別荘用に分譲されていた土地を購入し、仏心寺が持つ金閣寺の設計図を基に、日本人移民の宮大工に建設を依頼。1974年に完成した。敷地面積は4万2,000平方メートルとかなり広い。


▲大畑天昇師(この写真はブラジル金閣寺提供)

 ブラジル金閣寺の僧侶として奮闘している大畑天昇(おおはた・てんしょう)氏にお話をうかがった。

 大畑氏は、1918年4月18日生まれ。静岡県焼津市の出身、97歳である。16歳のとき、兄夫婦と「大牧場主になりたい」という夢を抱いてブラジルに渡る。
 「綿の栽培やピンガ農場などで仕事をしたあと、肥料会社勤務を経て、 退職してから仏教の道に入りました。会社勤めのころ、得意先の人が亡くなる光景を目の当たりにしてきたのですが、奥地ではお寺がなくて、いつも、自分でお経をあげることができたらと思っていました。それが仏門に入ったきっかけです」

 大畑氏は、戦後、日本にいた弟をブラジルに呼び寄せた。その際、弟はすでに亡くなっていた両親や先祖代々の遺骨も持参、大畑氏がブラジルで一族の供養をしている。
 大畑氏は曹洞宗大本山の永平寺(福井県)で3年間の修行を積み、国際布教師の資格を取得した。ブラジルの僧侶で国際布教師の赤い僧衣を着る資格があるのは、大畑氏ひとりだけだそうだ。


▲円光寺 

 大畑氏は、現在、金閣寺と同じ敷地内に建っている円光寺の主任を務めている。納骨堂としての金閣寺は、法事を行うスペースも設備も狭いため、元仏心寺僧侶で、金閣寺内での納灰法要を執り行っていた大畑氏の希望で、2001年に円光寺が建設されたのである。
 今、大畑氏はサンパウロ近郊に住んでいるが、土曜・日曜は供養のため金閣寺・円光寺まで来て、法要を行っている。

 「ご高齢にもかかわらず、お元気ですね?」の問いかけに、「65歳の時に心臓の手術をしたけど、そのあとは元気いっぱい、どこも悪いところがありません。百歳まで生きるつもりです」と威勢のいい言葉が返ってきた。
 家族は、娘3人と息子3人、孫は7人、ひ孫は10数人だそうだ。ますますお元気でおつとめに励んでいただきたい。

(2015年11月26日号)
               



 



 
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