【ひと】

白藤青湖(しらふじ・せいこ)さん
日本とトロントで歯科医として活躍後
紆余曲折を経て、再びトロントに


〈取材・いろもとのりこ〉

 日本で歯医者として経験のある白藤青湖(しらふじ・せいこ)さんは、1980年代後半から2006年まで、トロントでは日本語で診療できる数少ない歯科医のひとりとして活躍していた。
 その後、突然日本へ帰国。「法医学を学ぶために再び大学へ行くことにしたらしい」という話を聞く。歯科医がなぜ?

 そして、昨年再びトロントにもどり、11月からマーカムの歯科専門クリニック「HK Dental Centre」(J−TOWNとなりのビル)の診療室で患者の相談にのることになった。
 日本でも歯科医になるには大変なのに、まして外国で歯科医の資格を得るには相当な努力がいる。そのハードな難関を次々とクリアしていったドクター白藤。その裏には紆余曲折の人生があった。


▲「HK Dental Centre」のレセプションに立つドクター白藤青湖

■祖父の意志を継いで歯科医に

 白藤さんは山口県萩(はぎ)市近郊の生まれ。昨年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台でもある。実際、幕末の長州藩士であり大河ドラマにも登場した中原復亮は白藤さんの曾祖父(ひいおじいさん)に当たるという。

 「祖父は地域でただ一人の歯科医で、小中学校の校医でもありました。本当は父が跡を継ぐことが望まれていましたが父が跡を継がなかったため、私たち4人兄弟姉妹のうちだれかが跡を継ぐのが使命のようになっていました」。結局、弟は医者の道へ。姉妹のうち白藤さんだけが継げる立場にあった。

 日本では1960年代後半当時、歯学部のある国立大学は、全国に7大学しかなかった。白藤さんはそのうちのひとつ、新潟大学歯学部に入学。6年間学んだ後、卒業し、九州大学歯学部にインターンとして入り2年間研修する。
 インターンを終えたあと、郷里の祖父のところへはもどらず、同じ山口県の宇部市で子供専門の「小児歯科医院」を開設した。

 「当時は虫歯予防教育が徹底していなくて、しかも急激な食生活の変化で、人々、特に子供の口の中はひどい状態でした。だから患者の数はものすごい数で、祖父のところは早朝から患者が押し掛け、食事やトイレに行く時間もままならないくらいでした。その様子を見ていましたので郷里にもどって祖父と同じようにはとてもできないと思いました」

 このころ、結婚適齢期にあった白藤さんは「仕事は仕事。それは別として結婚願望も強かったです」。九大インターン時代に知り合った男性と結婚の機運も高まり、式場まで予約した。しかし、「結婚後の姓をどうするかで意見が分かれ、破談にしてしまいました」。
 白藤さんはあくまで各自の姓を守るか、あるいは二人で新しい姓を作るかを望み、相手の姓になることを拒んだのである。そう言えばつい最近、日本の国会で結婚後の姓について法改正がされるか話題になっていた。30年以上前にすでにそのことに言及していたのだ。


▲クリニックで自分の人生を語る白藤さん

■トロントで難関な歯科医の試験に挑戦

 結婚ばなしを破棄した白藤さんは海外に住むことを念頭に英語圏のイギリス、オーストラリア、カナダを下見して回った。
「移住を受け入れていることで、オーストラリアかカナダに住もうと思いました。オーストラリアは当時、白豪主義が残っていてアジア系人の専門職への挑戦は不可能に近い状況でしたので、カナダに決めました」

 カナダはトロントに定着することになった。
 「さて、これから何をしようと思って、まずはボランティアから始めようと、日系文化会館(JCCC)や仏教会などに行って、『歯の相談にのります』と、申し出たところ、『カナダでの資格はあるのか?』と聞かれ、受け付けてもらえませんでした。日本でのオーバーワークから逃れてきた歯科の仕事だったのですが、まずはこの道から進もうと思いました」

 割合資格を取りやすいだろうと、Dental Hygienist(歯科衛生士)や歯科技工士の試験を受けようとしたり・・・。ところが何と試験を受けさせてくれなかったのです!! 一大決心をして日本を出てきた以上、帰るわけにはいかない。
 幸い移住国家カナダにはWHO(世界保健機関)の規約でWHO加盟の大学を出ている人は試験を受ける資格がある。結局、トロントで歯科医の資格を取ることに挑戦することを決心した。
 その試験たるものがたいへん厳しいものであることは、挑戦を始めてからひしひしと身にしみてきた。

 試験は4種。ペーパー試験、マネキンを用いての臨床試験、口頭試験、さらに4人の実際の患者を探しての実地試験などである。しかも,患者の交通費、宿泊費などすべて受験者持ち。最後の実地試験はモントリオールで行われた。実際、4人の患者を探して連れて行くというのは大変な作業である。

「カナダで教育を受けて医者になる人のほかに、海外から毎年多くの医者が移住してきます。そしてそれらの人は皆、カナダで医者として活動することを望んでいます。当然移住者には厳しくなるシステムになっているのです」

 この挑戦は6年以内にクリアしないと、2度と受けられない。白藤さんは4年間かけて、すべてをクリアし、晴れてカナダでの歯科医師としての資格を得た。さらにすごいことは、この間に結婚、長女の出産も経験しているのである。
 「出産後、脳いっ血になりまして回復するのに半年かかりました」。これらを乗り切って難関の試験を突破したのである。長州女性の根性だろうか?


▲トロント市ノースヨークにクリニックを開業していた1990年代ころのドクター白藤

■ノースヨークに開業

 1988年、日本人が割合多く住んでいるトロントのノースヨーク地域に「白藤歯科」を開業。当時、日本はバブル全盛期で、多くの駐在員が家族と共に住んでいた。「クリニックで子供たちの絵画コンクールを開催したり、そのころが一番楽しかったですね」と、振り返る。


▲1997年度クリニックでの絵画コンクール受賞式(クリニック階下のロビーにて。後列中央がドクター白藤)


▲入賞作品はクリニックの待合室に展示

 患者は定着し、クリニックの営業成績も順調だったことで、毎年のように「別にもうひとつクリニックを設けてはどうか」という話まで持ち上がった。しかし、その後、リース契約上のトラブルに見舞われ、2006年にクリニックを閉じてしまうことに・・・。ちょうどそのころ、身体的にも変化があり継続していくことが困難な状態だった。

 「20年近くやってきたクリニックを閉めてしまうのは大変心苦しかったです。しかし、精神的にも身体的にも限界でした。すべてを整理し、日本へ帰ることを決めました」

■法医学を学ぶため再び大学へ

 傷心の白藤さんはいったん日本へ帰国。かねてから興味のあった「法医学」を学ぶために山口大学医学部に入る。法医学とは簡単に説明すると、人間の死の原因を究明することで、人間の最後の尊厳を順守しようとする学問である。そのために死後解剖やDNA型鑑定、薬物判定などさまざまな技術を駆使する。

 最近は50歳を過ぎて大学に入ったり、リタイア後に大学で学ぶ人は珍しいことではないが、それにしても「法医学」とは・・・。
「歯からその人の生前の生活を知ることもできます。歯で身元確認をすることも多いことから、以前から法医学を学んでみたいと思っていました」

 大学では実際に腐乱死体の解剖や焼死体の確認作業などの実地もやったそうだ。法医学を6年間学び、学位を取得。
 テレビドラマで見る検視官を目指しているのかと思いきや「検視官は検視を担当する警察官のことで、あくまでも組織上のことです」と。

■再びトロントで患者の相談クリニックを

 昨年,故郷の母親が亡くなり,日本に住む理由が薄れてしまった。結局、自分の居場所を改めて探して見ると、人生の半分を過ごした「トロント」になっていた。

 トロントに昨年9月に戻り、さっそく「何かしなくては」と、行動を開始。いろいろボランィア活動も探してみたがうまくいかない。途方に暮れていたところ、先輩の元歯科医に後押しされ、奮起。たまたま目に入った新しい歯科クリニックセンター「HK Dental Centre」に飛び込み、責任者と話してみた。

 白藤さんの履歴書を見た責任者はすぐに受け入れてくれ、8部屋あるクリニックのひとつを与えてくれた。「HK Dental Centre」は中国系の歯科医5人がいて、それぞれ週に1〜2回ほど勤務している医師がほとんど。白藤さんもこのクリニックで火曜日に患者を診ることになった。

 診察の内容は、虫歯、歯槽膿漏(しそうのうろう)、入れ歯、インプラント、噛み合わせ、歯並び、睡眠時無呼吸、口腔(こうくう)乾燥症、口腔周辺の美容関係などのセカンドオピニオン、病状説明、治療方針検討などの相談に応じている。また、状況と必要に応じて歯科クリーニングもする。

 「必要に応じて、電話で予約してください。料金についてもご相談にのります」とのことだ。(電話&住所は後述)

■じっとしていられない性格

 「この歳(とし)になってもじっとしていられない性格なんですね。毎日、なにかやっていないとかえって落ち着かないのです」
 というわけで、クリニックでの勤務がない日はノースヨークのシニアセンター「イーホン」で、入居者のお年寄りたちと歌を歌ったり、トロント日系文化会館のヒロコバラルルームで活動したりしている。

 さらにライフワークとして、曽祖父の児玉信嘉について彼の人生を調べている。児玉氏は、1886年に米ミシガン大学医学部に入学しMDを取得。その後帰国し、新島襄と京都の同志社大学建設にも携わったが愛妻と死別。再び渡米し、フィラデルフィアで折しも渡米してきた黄熱病研究の野口英世博士の世話をし、次々と4件の発明をしてアメリカ特許を取得した。そこまでは分かっているが、その後の足跡がわからないそうだ。

 「時々、曽祖父と私の人生を重ねているんです。だから何とか知りたいですね」。まるでTV番組「ファミリーヒストリー」の世界のようだ。手がかりがつかめるとよいが・・・。

〈HK Dental Centre〉
Suite 100, 3190 Steeles Ave. East(J-TOWNの東隣ビル1階)
Tel : 905-513-8388 647-709-6340(日本語)
*ドクター白藤の診療日は火曜日
www.hkdental.ca

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【取材を終えて】
 インタビューを申し込んだときに「私の話は長くなりますよ」と釘をさされた。でもまあ、こちらのペースにもどせば何とかなるとたかをくくっていたが、実際,話を聞き出すと湯水のごとく話の泉が湧いて出てくる。したがって、今回掲載した記事は、最短に要約したものです。
 日加タイムスのオフィスがスパダイナ×ブローアにあった当時、1983~1987年ころ、白藤さんはよく編集部にいらした。用件は「歯科医の実地試験を受けるための患者さんを探しているので、募集欄に出してください」ということだった。
その頃は、編集部内では彼女のことを「実際の患者を連れて試験会場に行くとは、なんてユニークな人」と思われていたのを思い出す。今回約30年ぶりにそれが「本当のことだったんだ」と納得。彼女の苦労が改めて理解できた。

(2016年2月4日号)

 
 


 
 
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