温暖の地に築く「テント・シティー」
ホームレス問題に頭を痛めるBC州ビクトリア市


〈 リポート・サンダース宮松敬子 〉

冬の温暖なビクトリア市
 カナダの中では気候が一番温暖といわれるBC州バンクーバーアイランド。確かに州都であるビクトリア市に、冬の間、雪が降ることは大変珍しい。まれには、うっすらと雪景色の朝もあるものの、太陽が出ればすぐに解ける。とは言え、冬は雪の代わりに雨が多く、曇り空の日が続くのは珍しいことではない。

 それでも国内のどこよりも温暖な地となれば、冬を過ごすのが楽なことは確かだが、それを見越してこの町に集まるホームレスが当地では大きな問題になっている。


▲花いっぱい。夏のビクトリア市内

 薬物利用などが理由でこの一年で8人が亡くなったというが、トロントの冬のように路上生活で凍死することはないため、仲間が仲間を呼び寄せることも多くなる。実際にバンクーバーはもとより、トロント、カルガリー、エドモントンなどからヒッチハイクをしながら当地に来る人々もいる。今時はホームレスといえども携帯電話を持参している人も多く、仲間同士が簡単に連絡を取り合えるようだ。

 たむろして集まる場所は郊外ということはほとんどない。やはりいろいろなことで便利なうえ、人通りのある場所の方が日銭(ひぜに)の実入りも多いことからダウンタウンに集中することになる。

 都会であれば、世界のどこでもホームレス問題を抱えていない町はないと言っても過言ではないだろう。もちろんカナダも例外ではないわけで、2年前に国が発表した「2014年度ホームレス年次報告」によれば、シェルターの確保をはじめとして、警察との関わりや病院への費用などもろもろの関連を併せると、年間約70億ドルが使われているという。

州裁判所の裏庭
 「ガーデンシティー」の異名があるほど奇麗なビクトリア市は、春から始まる観光シーズン中には、昨今の強い米ドルの影響もあって多くのツーリストが訪れる。当然ながら観光は大きな収入源であるが、街中に見られるホームレスの問題は市にとって長いこと頭の痛い問題になっている。
 特に去年の夏ごろから、ダウンタウンにある州裁判所のレンガ造りの立派な建物の後ろに広がる公園に、「Tent City」(テント・シティー)と称するたまり場が出来たことから大きな波紋が広がった。


▲「Tent City」に並ぶテント群


▲バラックまがい、手作りの家


▲階段が付いた建物もある

 最初のうちこそ数も少なかったが、季節が移り秋も深まる頃にはその人数が日増しに増え、常時100〜120人くらいの人々が幾つものテントに寝泊まりするようになった。中にはしっかりと土台を作り、冬に多い雨が床から染み込まないようにバラックまがいの家を建てる人まであらわれた。

 トイレは公園脇に設置された簡易トイレを使用し、定期的な交換が行われる。またシャワーは近くの互助機関に備えられている場所のものを利用することが出来る。


▲幾つもの簡易トイレが並ぶ

 時の経過と共に公園周辺の住人から、昼夜にわたる騒音や、車庫やバルコニーからの盗難の被害などの苦情が相次ぎ、それをマスコミが大々的に報道し、問題がますますエスカレートしていった。


▲連日のようにメディアで報道される「テント・シティー」関連のニュース

 筆者は何回も時をずらして公園を訪れてみたが、彼らは毎朝の行事として、輪になってその日の心境をぶちまける儀式のようなことを行っていた。こうして生まれる仲間意識が強い絆(きずな)になっていくのだという。人は一人では生きられない。やはり誰かとつながりを持つことによって生きる力を得るのだろう。


▲毎朝、輪になって仲間と思いを分かち合う


▲雨の翌朝は寄付された乾燥わらでぬかるみを処理する

州政府からの援助
 当然ながら、BC州政府もビクトリア市も問題を黙認しているわけではない。以前からタウンミーティングを開いたり、あれこれと良案を提出し解決に向けて乗り出している。

 まずは住居の確保ということで、幾つもの NGO 機関と連携して、市内にある今は使われていない建物を改造し、シェルターとして提供している。いずれも永久に住めるパーマネント・レジデンスではないが、市内に数カ所そんな場所を確保し、ボランティアの手を借りて改築している。

 そのひとつはテント・シティーの公園からわずか2ブロックほどの所にある Mount Edwards Court と呼ばれる建物だ。いかにも歴史を感じさせる古めかしい建物で、以前はシニア向けの住居として使われていたというが、BC 州は365万ドルで購入し臨時のシェルターに改築した。


▲Mount Edwards Court の外観

 ここは100人ほどを収容することが可能だが、2月末にはそのうちの38部屋の改築が終了し、テント・シティーからの「住人」が住めるようにした。食事を提供し、将来のためにライフスキル(職業技術)のトレーニングを行い、また健康管理や薬物依存症の人々へのサポートプログラムなども組みつつある。

 だが、今はあくまでも一時的なシェルターとして提供しているに過ぎない。将来、もし居住可能な100部屋すべてを低所得者用のハウジングとして恒久的に住めるようにするとなれば、地域住民の理解を求めるために公聴会を開き、許可を得るなどの大々的な手続きを踏まなければならない。


▲「Homes NOT Shelters」(シェルターではなくホームを)のスローガン


▲英国国教会の建物を背に無数のテントが並ぶ 

 公園がホームレスのたまり場になる前は、この一帯は閑静な住宅街であった。「クライスト・チャーチ・カテドラル」と呼ばれる英国国教会とそれに併設された学校もあることから、どの程度、住民の許可が得られるかは大いに疑問で、先行きの見通しは立たない。

 加えて、この学校に子供を通わせている親たちが、先の見えない地域の環境に不満をつのらせ、最近は子供を他校に移すようになっており、従って教師も職を失うなど負の連鎖も見られるようになった。

 しかし一方では、こうしたハウジングのプログラムに関わる人々や、BC州の住宅省大臣などは、「ひとたびホームレスの住居が定まり定住するようになれば、彼らにも地域の住民としての認識が生まれ、また地域に住む人たちにとっても新たな住人への理解が深まると思う」とコメントしている。

 だが、こうした問題は、関わって被害を受けている人にとっては大問題だが、そうでない人たちはサポートはするものの、常に NMBY(Not My Back Yard=我が家の裏庭はお断り)となり、けんけんごうごうの争議が持ち上がっている。

立ち退き命令の2月25日
 市内の梅の花が盛りを迎え、また、早咲きの桜もチラホラ見られるようになった2月25日は、テント・シティーの住民にとって「裁きの日」であった。
 それは州政府の命令で、ホームレス全員が公園から立ち退きをしなければならない日だったのだ。全員の行き先が決まったわけではないものの、この命令によって、さぞかし大移動が繰り広げられるだろうと想像していた。

 しかし当日は、晴天で春うららの日であったことも手伝い、せっぱ詰まった雰囲気はいっさい見られなかった。午後4時ごろにはバンクーバーのイーストサイドから50人ほどの応援団がバスに乗って駆けつけ、ボランティア関係者、メディア関連の人々も入り乱れ、まるで大賑わいのお祭り騒ぎを展開した。


▲この男性は自分が焼いたケーキでもてなす


▲ホットドッグを用意するボランティア


▲「テント・シティー」のロゴが入ったTシャツ

 差し入れのたくさんの食料は、ホットドッグ、チップス、サラダ、手作りのケーキ、果物、飲み物などなど・・・。テント・シティーの住人に限らず、集まった人の誰かれを問わずに振る舞われ、今日が立ち退きをしなければならない「最終日」などという追い詰めれた雰囲気はまったく感じられなかった。


▲警官も明るい表情で緊迫感はない


▲バンクーバーから来訪したファーストネーションのチーフ(円内)とサポーターの人々

 本土からの応援団は、民族衣装を身に着けたファーストネーション(先住民)の人々が多かったが、白人のアクティビストもたくさんいて、次々にマイクを握り「一丸となって頑張ろう!」と意気盛んに思いの丈(たけ)をぶちまけた。特にファーストネーションの人々は、自分たちの出自ゆえに虐(しいた)げられてきた過去を持つだけに、強いサポートを惜しまない。

問題の解決に向けて
 ビクトリア市民のどの人に聞いても、この日を境にテント・シティーの住人が一斉に姿を消すなどの幻想は持ってはいなかった。
 事実2、3日後に再度公園を訪れてみると、テントの数は確かに少し減っているようには見受けられたが、「どのくらい減ったの? 今の数は?」の質問に、「まだ100人くらい居るかな?」との返事。「えっ、それって前と変わらないじゃない?」。これに対して、「移って行った人の場所にまた新しく人が来るからね」と言う。

 普通は正式に引っ越しや国内移住をすれば、移動先の生活を開始するにあたり揃えなければならない書類など煩雑(はんざつ)な手続きがいろいろとあるものだ。そんな面倒をすり抜けての生活は楽かもしれないとは思う。だが、個々の話に耳を傾けてみれば、社会の流れからすり落ちて路上生活を余儀なくされたバックグラウンドが容易に垣間見られる。


▲テントの数が多少減ったように見受けられる(?)

 彼らと政府や互助機関の援護サービスをめぐる動きは、何やらイタチゴッコのように思えなくはない。だが、それでも努力を重ねる関係者には敬意を表したいし、これからも途切れることなく続く問題であることにだけは間違いはないだろう。とは言え、総数から見ればトロントのような大都会よりは少ないとは思う。だが「何とかしなければ」と問題に真摯(しんし)に取り組む人たちがいることは確かなようだ。

(2016年3月10日号)



 
 


 
 
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