「ジェーン・ウオーク」に参加して
スパダイナ・エクスプレスウエー計画挫折の経緯をしのぶ


 都市思想家として数々の功績を残したトロントの故ジェーン・ジェイコブス女史(Jane Jacobs)が2006年に89歳で亡くなって、ちょうど10年がたつ。そして彼女をたたえる人々が毎年のように実践しているのが、「e-nikka」4月14日号でご紹介した「ジェーン・ウオーク」だ。今や、トロント、カナダだけではなく、世界の各地で都市を愛し守ろうとする人たちが地域を歩いて回り、都市問題を改めて考えようという運動が広まっている。

 今年は、5月6日(金)、7日(土)、8日(日)の週末、世界各地でジェーン・ウオークが繰り広げられた。トロント地域だけを例にとっても、26カ所に集合場所が設けられ、大勢の市民が「歩け、歩け」イベントに参加した。


▲ジェーン・ウオークのフォレストヒル地区から出発のグループ。右のサインを持つ男性が案内人のヒミー・シエドさん(5月7日、スパダイナ×ロンズデール角)

 わが編集部も挑戦することになり、5月7日(土)午後1時30分、フォレストヒルのスパダイナ・ロード×ロンズデール・ロード(セントクレア・アベニューの北)交差点角の集合場所に馳せ参じた。

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 ウオークリーダー(案内人)のヒミー・シエドさんは集まった約25人の参加者とすぐフレンドリーになり、知らない者同士のグループは和やかな雰囲気に・・・。彼の説明によると、ジェーン・ウオークは年々、人気が上昇、昨年は世界で189カ所だったのが、今年は204カ所でウオークが行われたという。

 シエドさんは、まず、フォレストヒルの商店街「ビレッジ」に9階建てビル建設の認可申請が市当局に提出されている現状を話す。「古くて趣のある2〜3階の建物が調和して並んでいるこの商店街に、いきなり9階の新築ビルがニョキニョキと建つ計画はどう思いますか。これには反対の声が多い。申請は却下されるでしょう」とシエドさん。ウオーク参加者も同じ意見のようだ。


▲浄水場の芝の上で説明を聞く。この芝地とビルの間にあるスパダイナ・ロードが高速道路の建設予定地だった


▲浄水場からダウンタウン方面を見る


▲スパダイナ×セントクレア角に立つ歴史的建物。高速道路ができれば取り壊されることになっていた

 スパダイナ・ロードをセントクレア・アベニューまで歩を進める。この東南角は浄水場になっていて、広々とした緑の芝生に覆われている。テニスコートなどスポーツ施設、ジョギングコース、子供の遊び場もあって、住民のレクリエーションスポットだ。

 ここで、シエド案内人の話が、今回の我々のウオークの本題に入る。それは、挫折した「スパダイナ・エクスプレスウエー」計画である。じつは、この浄水場の西側を南北に走るスパダイナ・ロードは、あの計画が実施されていたら、高速道路に変身していたのだという。

 トロント市ノースヨークから南に下り、市の中心部に向かう高速道路計画は第二次世界大戦中の1943年から持ち上がっていた。それが1950年代、スパダイナ・エクスプレスウエー(Spadina Expressway)として提案された。それが1961年−1962年になって認可が下り、翌63年、工事が始まった。


▲スパダイナ・エクスプレスウエー建設工程。緑色は緑地帯、紫色は完成区間、赤色は未完成区間

 最初は、ローレンス・アベニューからヨークデール・ロードまでの区間が完成(1964年)、次いで、北にウィルソンハイツまで延長(1966年)。しかし、69年〜71年ごろになって、建設費用が当初の予算を大幅に超過したことなどが原因となって反対運動が起きる。71年、工事は一時中断。「エグリントンまでの延長工事を継続すべきだ」と主張する議員らの後押しもあって、ローレンス・アベニューから南にエグリントン・アベニューまで完成した。1976年のことである。


▲カサロマ


▲カサロマの東隣りにあるスパディーナ博物館(Spadina Museum)。この建物は取り壊しの運命にあった


▲スパディーナ博物館の庭園


▲スパダイナ×ダベンポートから北の方角を望む高速道路見取り図。上方中央はカサロマ、右上から左下の道路はスパダイナ・ロード。高速道路は地下を走る 

 こうして、北から南のエグリントン・アベニューまでたどり着いたスパダイナ・エクスプレスウエーだが、その後、新たな問題が浮上してきた。
 この高速道路の「終点」となっている地下鉄エグリントン・ウエスト駅横からシダーヴェイルパークの緑地帯を通過して、地下鉄セントクレアウエスト駅→浄水場の西隣りのスパダイナ・ロード→カサロマの東隣り→スパダイナ×ブローア交差点→チャイナタウン→オンタリオ湖近くのガーディナーエクスプレスウエーに接続する計画に、都市思想家ジェーン・ジェイコブス女史や多くの仲間、それに市民から反対の声が噴出した。


▲在りし日のジェーン・ジェイコブスさん(写真提供=Mark Trusz/Ideas That Matter)

 「いちばんの懸念は、町のど真ん中を通過する高速道路が完成したら、車の排気ガスが環境に与える悪影響は甚大であるということ。そのほか、騒音問題が深刻化する、美しい町の景観が破壊される、等々、市民生活が受けるダメージは計り知れないものがあったでしょう」とシエドさんは話す。

 そう言われてみて、カサロマの横に高速道路、チャイナタウンやケンシントンマーケットがあるスパダイナ通りに高速道路・・・毎日、おびただしい数の自動車が騒音を発しながら突っ走る光景は、やはり、想像ができないと感じた。


▲カサロマの高台からスパダイナ・ロードとダウンタウン方面を望む


▲地下鉄デュポン駅

 シエド案内人の説明によると、1971年6月、オンタリオ州政府のビル・デービス州首相は「都市は人のために造られるのであって、車のためではない」とスパダイナ・エクスプレスウエーのこれ以上の建設計画を中止することを宣言した。ただし未完成だったローレンス=エグリントン間の工事は終了させることに決定、この区間は76年に完成して、そのまま現在にいたる。この高速道路は、「Allen Road」(アレン・ロード)と呼ばれている。

 スパダイナ・エクスプレス計画が中止されて35周年を迎えた2006年には、盛大な祝賀パーティーが開かれたというから、建設反対の市民がどれだけ喜んでいたか、目に浮かぶようだ。そして、反対を推進したジェーン・ジェイコブス女史をはじめ多くの人々の「功績」に感謝しているにちがいない。


▲ジェーン・ジェイコブスさんが住んでいたアネックス地区の家

 今回のジェーン・ウオークは、女史が暮らしていたアネックス地区の家(69 Albany Avenue)まで歩いて、その家の前で終了した。最後に、シエドさんが彼女の書いた詩を朗読してくれた。そして解散。全部で2時間半のコースだったが、いろいろ学ぶことができて、有意義なイベントだったと思う。

〈 取材・編集部 〉

(2016年5月12日号)



 
 


 
 
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