岡井朝子バンクーバー総領事
スティーブストンの日系人史跡を視察


〈 リポート・妹尾 翠 〉

 在バンクーバー日本国総領事、岡井朝子氏は5月30日、カナダでの日本人発祥の地であるBC州リッチモンド市スティーブストンの日系人史跡を訪問した。(6月2日号「e-nikka」 参照)。今週号では、視察の詳細をお伝えしたい。


▲今回の世話役・ジム小嶋氏(右)と初対面の挨拶を交わす岡井朝子バンクーバー総領事。後方の男性はアラン・サカイ氏(キャナリー入り口の売店前にて)

 5月30日午後、最初の訪問先 Gulf Of Georgia Cannery(缶詰工 場)に集合。入り口で総領事館の一行と世話役のジム小嶋氏、アラン・サカイ氏との初対面の挨拶に続き、ツアーが開始された。(視察団は岡井朝子総領事のほか、総領事館より2名、日系世話役2名、メディア関係者2名の計7名)

Gulf Of Georgia Cannery
 Gulf Of Georgia Cannery は1894年から操業していたキャナリー(缶詰工場)であるが、1979年に工場は閉鎖され、その後は魚網倉庫として使われた。しかし地元で保存運動が高まり、1994年に国定史跡の漁業博物館として公開され、今日に至っている。


▲サーモンなど魚類の展示物


▲当時の漁師と漁船の模型

 操業当時の魚の陸揚げ、魚の缶詰作り、加熱調理、ラベリングまでの工程が当時のまま再現されている。まだ冷凍車もない時代であったから、魚類は船から直接工場内に陸揚げできるよう、キャナリーはフレイザー川の沿岸に建設されている。


▲「戦時中キャナリーで働いていた女性たち」写真展より

 今年のテーマは「戦時中キャナリーで働いていた女性たち」。当時の写真や室内模型が展示されている。2007年4月まで。

工野庭園(くのていえん)
 和歌山県の人々がカナダに渡って100周年(1988年)の記念に造られた日本式の庭園である。この公園はスティーブストン南西のゲーリーパーク・ポイント内に造られ、「日系カナダ移民の父」 といわれる工野儀兵衛の名にちなんで「工野庭園」 と命名された。庭園から見る海の景色も素晴らしい。


▲工野庭園にて


▲工野庭園から眺める素晴らしい景色

Britannia Shipyards National Historic Site 
 ここはスティーブストンの昔の住居や建造物がそのまま残っているサイトである。湿地帯なので、歩道はボードウォーク と呼ばれる板張りになっている。

日系漁師像
 海で遭難したこの村の多くの漁師たちの名が碑に刻まれている。彼らの勇気と献身ぶりをたたえた記念碑は1996年に建てられた。


▲日系漁師像

ムラカミ・ハウス
 和歌山県から移住した船大工の村上音吉さん、妻あさよさん、その子どもたち10人が1929年から太平洋戦争で日系人が強制収容された1942年まで住んでいた家である。1885年にフレイザー川に接した湿地帯に建てられている。


▲ムラカミ・ハウス


▲村上音吉さん手作りの風呂

 音吉さんはこの家の横に船を作る建物を建てて、冬ごとに2隻の刺し網漁船を作っていたという。部屋の中には洋風家具が置かれ、素敵なデザインが保たれていたが、今回は数日前の豪雨で浸水してしまった。やっと掃除が終わった状態で見学は無理との話であったが、特別に見学させてくれた。

 各部屋の装飾となる家具や飾りは取り外されていたが、当時の家の状態は確保され、音吉さんの作った立派な風呂や手作りの家具の一部はそのまま残されていた。
 村上あさよさんは1898年に広島で生まれ、「写真花嫁」(Picture Bride) として渡加。2002年に104歳でカルガリーで死去。「最後の写真花嫁」といわれている。


▲漁網保管場

地引き網保管場
 かなり広い施設内には、地引き網や網の修理機などが置かれている。

スティーブストン仏教会・グラント生田開教使
 日系人の人口増加に比例し、仏教徒の数も多くなったころの1907年に有志が京都から仏壇を取り寄せ、メンバーの店舗で集会が始まる。そのグループは仏教会と呼ばれるようになった。


▲岡井総領事に仏教会の歴史を説明するグラント生田(いくた)開教使(スティーブストン仏教会本堂にて)

 1928年にはファースト・アベニューにお寺が建設されたが、太平洋戦争の日系人強制移動で寺も人手に渡ってしまった。戦後1952年に人々がスティーブストンに戻ってきたときには赤十字ホールを借りて礼拝をおこなった。
 現在のお寺は1970年に建てられたもの。戦前は日系人の集会場としていろいろな催しものも行われており、当時の写真は建物の内部に飾られている。

スティーブストン・コミュニティーセンター
 スティーブストン・コミュニティーセンターは1957年にオープン。1971年には武道館が建てられた。この敷地内で日本語学校も運営されている。

スティーブストン日本語学校
 スティーブストン日本語学校は、漁師の慈善団体によって1911年に設立された。1960年に当時の奥山校長が教室を確保するためコミュニ ティーセンターに働きかけ、これをきっかけにスティーブストン日本語学校が正式に設立された。
 ちょうどカナダ連邦政府の多様文化政策が行われた時期で、学校は日本人だけでなく、一般コミュニティーにも開放された。その後、リッチモンドで日本語教育を促進するため、1975年に非営利組織団体となった。
 1992年には、新しく増築されたスティーブストン日系カナダ人のためのカルチャーセンターに移動。クラスは幼稚園から小中高、そして大人クラスも設置されている。


▲スティーブストン日本語学校では学期末の学芸会を控えてリハーサルが行われていた

 岡井総領事が現在の学校運営、日本語カリキュラムの作成などについて質問したのに対し、学校側は、このコミュニティーセンターは日系人の寄付によるもので、日系人は多少のボランティアをするだけで無料で使えるとのこと。日本語教育においては、日本からの教科書も送られてくるし、カナダ独自、また、学校独自のマニュアルも出来ていて、それを参考にしています、と説明。

スティーブストン武道館
 建物正面の左右に2棟の道場を備えたスティーブストン武道館。一方の道場は空手の練習開始前で、空手カナダチャンピオン獲得者の打揚寿美(うちあげ・すみ)さんに会うことができた。岡井総領事も会話を楽しみ、励ましの言葉を贈っていた。


▲スティーブストン武道館。柔道、ヨガなどの道場


▲別棟の剣道、空手などの道場で、打揚寿美さん(左)に激励の言葉を贈る岡井総領事(右)

 寿美さんは剛柔(ごうじゅう)流打揚会の代表者・打揚猛(うちあげ ・たけし)師範の次女でカナダチャンピオン9回獲得、ジュニア・パンアメリカンメダリスト、スティーブストン国際空手道選手権で8回優勝。長男の打揚寿英(としひで)さんは、19回ものカナダチャンピオン、ジュニア・パンアメリカン大会優勝、世界空手連盟・世界選手権メダリスト、コモンウエルスゲームでも優勝、スティーブストン国際空手道選手権で16年間連続優勝。また、在バンクーバー日本国総領事館総領事杯を獲得するなど、輝かしい戦績を持つ。さらに、長女の秀美さんは、カナダチャンピオン9回、ジュニア・パンアメリカンメダリスト、スティーブストン国際空手道選手権で10回優勝。まさに空手の打揚ファミリーである。
 もう一方の道場には、畳が敷かれており、柔道やヨガなども行われている。


▲スティーブストン武道館の前にて。(左から)ジム小嶋氏、岡井総領事、アラン・サカイ氏

 休憩もなく2時間のスティーブストン見学。中身の濃い視察ツアーであった。最後に岡井朝子総領事と世話役を担当したジム小嶋氏、アラン・サカイ氏が記念撮影。アラン・サカイ氏は柔道で1972年ミュンヘン・オリンピックに出場、本間スクールの校長も務め、現在はリタイア生活を送っている。

(2016年6月9日号)



 



 
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