ニコラ・ド・スタールの絵を見に南仏へ(1)
まずは印象派画家たちの足跡をたどる


〈 ミシサウガ市 牧野憲治 〉

 ニコラ・ド・スタール(Nicolas de Stael 1914−1955)の絵は、写真やコンピューターではよく見ていましたが、今回、実物を見に行こうということになりました。

 彼の終焉(しゅうえん)の地となったアンティーブ(Antibes)は南仏のニースとカンヌの中間にあり、そこのピカソ美術館の一階にかなりの数の彼の作品があるというので、早速、連絡しました。ところが、その時点では他の画家の特別展をやっており、彼の作品はすべて倉庫に入っているとのフレンチスタイルのそっけない返答をもらいました。

 いろいろ調べてみると、その近くの4、5の市の美術館、またパリやロンドンの3、4の美術館にも数点ずつ彼の作品があるかも知れないと分かり、旅行計画を変更。こうなったら、ド・スタールの一時代前、パリのサロンの権威、束縛にうんざり、反抗し、南仏の光に魅せられて続々とやってきた印象派画家たちの足跡もたどってみようということになりました。


▲ニース、プロムナード英国通りの浜辺


▲プロムナード英国通りからオールドタウンを見る(ニース)


▲プロムナード横道(ニース)

 まず、ニースでレンタカーを借り、そこからセイントポール・ド・ヴァンス、カンニェ・ス・メール、アンティーブ、エクソン・プロヴァンス、アルル、セイント・レミ、そしてアヴィニヨンで車を返し、高速列車でパリに行き、そこからさらにロンドンへ飛ぶということになりました。

 ニースからアヴィニヨンまでは10日間で、車の走行距離は約550キロ。運転はフランス語が出来、したがってフランス語道路標識の認識力があるワイフ、私は慣れないGPSにたよるナビゲーター。結果は、道を間違えることGPS自体の間違いも含めて20−30回。途中で会ったアメリカ人夫妻は「GPSは完全には信用できないので、スマートフォンのグーグル地図と併用しながら運転している」と言っていました。

 まず、慣れるまで時間がかかったのは、交差点がほとんどラウンドアバウトと呼ばれる円形式で、その円の中に入ってから、どの方向に抜けていくのか間違えると大変面倒なことになります。私たちは幸い時間がたっぷりあったので、グーグルで走行時間30分とあると、「じゃー、まあ1時間半くらいだな」などと半ば冗談をとばしながら運転して行きました。

 しかし、「ところ変われば運転も変わる」で、フランス人の運転判断感覚はカナダ人、少なくとも私たちよりは10分の1〜2秒くらい早く、また車間距離も2〜3インチくらい近いと感じました。

 その上、道路は曲がりくねって狭く、また驚くほどの数のオートバイが至近距離をびゅんびゅんすり抜け、また車間に入り込んでくる。ここでレンタカーをする場合、エクストラの保険をかけるかどうか十分考慮を払わねばならぬ所以(ゆえん)です。

 ここまで書いてきた時、ニース惨劇のニュースが入りました。その場所は私たちが滞在したホテルから徒歩で10分以内、散歩もしたプロムナード英国通りで、テレビの風景も見覚えあり、大ショックを受けました。私たちのホテルのあの親切な従業員たちが事件に巻き込まれていないことを祈るばかりです。


▲マチス美術館(ニース)


▲マチスの作品

 ニースでの目当ては、マチス美術館とシャガール美術館。マチス美術館は大きな公園の一角にあり、一見して実にマチスにふさわしいと感じさせる建物でした。また、美術館を出たとき、たまたまそのとき公園の広場で身体障害者の老若男女の懇親会のようなものが行われていました。皆が音楽に合わせて手拍子足拍子を取って踊るのが、実に無邪気で楽しそうで、これもマチスの画風に通ずるところがあるなと思い、こちらも楽しくなって眺めていました。


▲シャガール美術館。ピアノの屋根の裏にも彼の絵が・・・

▲シャガールの作品


 シャガール美術館は静かな高級住宅街にあります。その建築にはシャガール自身が初めから終わりまで関わったそうで、数々の超大作を含めて多くの作品が素晴らしい採光を受けて展示されていました。

 ロシア系ユダヤ人の彼の作品は、ほとんどがロシア民話や旧約聖書に基づいて描かれているのですが、私のように、それにほとんど無知であってもそれが鑑賞することの妨げにならないのが、絵のおもしろいところであると思います。絵の批評家は別として、ただ絵をじかに鑑賞するという観点からいえば、かえっていろいろなことを知らない方がいいということも言えるかもしれません。


▲セイントポール・ド・ヴァンスのオールドタウン


▲セイントポール・ド・ヴァンスの夕暮れ時

 セイントポール・ド・ヴァンス(Saint Paul de Vence)は中世期から存続するリヴィエラ地域の古い町の一つです。1960年代に、イヴ・モンタン、シモーヌ・シニョレなどが頻繁に訪れ、ついには彼らがそこで結婚したことで一躍脚光を浴びました。また、さまざまなアーティストが居住していることでも知られています。

 ここでの目的はフォンダシオン・マグ(Fondation Maeght)という近代美術館を見て、コロム・ドール(The Colombe d’Or)で昼食をとることでした。


▲コロム・ドール・ホテルのレストラン。ピカソの絵がトイレへの通路の壁に掛かっている

 コロム・ドールは古い小さなホテルで、前記のイヴ・モンタンとその友人たち、また、ミロ、ブラック、シャガール、コルダー、ピカソなども常連で、彼らが寄贈また借金のかたで残した絵がたくさん壁にかかっています。ここでの宿泊予約を取るのは至難の技で、あきらめましたが、ランチの予約はカナダから2、3週間前にとることが出来ました。

 フォンダシオン・マグは私立の美術館ですが、1万2,000点余もの主な20世紀の画家の作品を網羅しています。また館外の広々とした敷地にも多くの興味深い作品が展示されています。

 ここからアンティーブへ行く途中、ルノアールが晩年の十数年を過ごしたカンネ・ス・メール(Cagnes-sur-Mer)の彼の家に立ち寄り、アトリエや数点の作品を見ました。彼も若い頃、前記のパリのサロンのオープン審査展に数年たて続けて落選した後、妻子を養うためと審査員たちにやや妥協する絵を描いてようやく入選し、絵が売れるようになったという話を読んだことがあります。地中海を見下ろす小高い丘の上に建ち、広い庭もある大きな家を見ると、彼が経済的にも成功したことが分かります。

 そして主目的のド・スタールの絵を見るはずだったアンティーブに到着しました。まずは、彼の絵はすべて倉庫にしまわれていると言われたピカソ美術館に行ってみました。何とかネゴして少しでも垣間見ることができるのではと淡い希望もって行きましたが、全くだめでした。

 仕方なく、ともかくピカソの絵を見て歩き、最後の部屋に入ってみると、意外や意外、ド・スタールの晩年の大作の2点が1点ずつ対面の大壁を占拠しているではありませんか。カナダから電話で(しかもフランス語で)話した係りの人、いまさっき話した人たちの情報経路はどうなっているのだろうかと、あきれ、かつ不思議に思いました。しかしド・スタールの実物を初めて見ることが出来た喜びで不満は吹っ飛び、その晩の祝杯は格別なものとなりました。


▲Nicolas de Stael (1914 − 1955)

 ニコラ・ド・スタールの絵は4、5年前初めて画集で見、実物を見たいと思うようになりました。一番好きな画家と言えます。彼の絵に常に張りつめる緊迫感、またそのヴィヴィッドな色彩感は強烈に訴えるものがあります。彼自身は、大きな体格、低く響くバリトンの声を持つロシア人で、独特な自己基準に基づいて激しく生きたと形容されています。パリ、ニューヨーク、で大成功を収めた個展の後、しばらくして、この地で自殺しました(ウオツカ飲みすぎの事故死との説もある)。1950年代の画家の中で最も影響力のあった画家の一人といわれています。
〈次号に続く〉

(2016年8月18日号)



 



 
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