ニコラ・ド・スタールの絵を見に南仏へ (2)
ルノアール、セザンヌ、ゴッホ創作の地も訪問


〈 ミシサウガ市 牧野憲治 〉  

 南仏のニースからアンティーブ(Antibes)に向かう途中、先週号でも述べたように、ルノアールが晩年の十数年を過ごしたカンネ・ス・メール(Cagnes-sur-Mer)の彼の家に立ち寄り、アトリエや数点の作品を見ました。


▲ルノアールのアトリエからの眺め(カンネ・ス・メール)


▲ルノアールの作品

 さて、先週号で述べましたアンティーブのピカソ美術館での意外な遭遇となったニコラ・ド・スタール(Nicolas de Stael 1914 - 1955)の絵は、じつは撮影禁止だったのですが、見張りの人が、カナダからわざわざ来たということに同情して、「僕は隣の部屋に2、3分行っている。その間、何がここで起こったかは僕の知るところではない」と姿を消したので撮れた写真です。

 ド・スタールの絵は、4、5年前に初めて画集で知ったのですが、どうしても実物を見たいと思うようになりました。常に張りつめる緊迫感、ヴィヴィッドな色彩感には人の心に強烈に訴えるものがあります。


▲アンティーブのダウンタウン風景

▲Nicolas de Stael ▲ニコラ・ド・スタール作「ブルーヌード」 



▲ニコラ・ド・スタール作「フットボール(サッカー)場」

 次に訪れたのは、通称「セザンヌの国」、エクセン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)です。実際にはかなり大きな市で、セザンヌのアトリエは中心地から相当離れた郊外にあり、試しにバスに乗って行きました。道端の小さな標識を見て、小径(こみち)を入ると田舎家然としたアトリエが現われます。

 よく知られているように、後期印象派に属するセザンヌが絵画史に残した存在・影響は非常に大きく、二十世紀の巨匠、マチス、ピカソをして「セザンヌは我々の絵の父」「私は絵のすべてをセザンヌから学んだ」などと言わしめたほどです。彼はまたキュービズムの祖ともいわれています。


▲セザンヌのアトリエ

▲ここからセザンヌが眺めて描いた山(Mont St. Victoire)の風景 ▲セザンヌが描いた場所に掲示されている複製画の写真 


 天井が高く、一面は総ガラス張りのアトリエで、残された描きかけのスケッチなどを見た後、彼が重い画材、カンバス、イーゼルなどを背負って何度も登った、かなりの距離の山道をたどり、彼が立ったと思われる所に立ち、何回も描かれ、それで有名になった山と面しました。この場所には、そこで描かれた彼の絵の複製が4点備えつけられてあり、実景と見比べることができます。

 アトリエで道順を聞いたとき、「うわあ、そんなに遠いの・・・」と言ったら、その若い女性は笑いながら「なにを言ってるの! セザンヌはこの道を日に2回、何カ月も通ったのよ。そのとき彼はすでに60何歳、あんたはまだ若い(彼女は東洋人の年齢の判断が全く出来ないらしい)のだから問題ないよ」。「ありがとう」。


▲グラネ美術館

▲ニコラ・ド・スタールの絵   ▲ニコラ・ド・スタールの絵  



▲ジャコメッティの作品

 ここでは、ホテルから歩いて行ける美術館を三つ見て回りました。いずれも充実した見ごたえのある美術館でしたが、特にグラネ美術館(Musee Granet)1と2にはお目当てのニコラ・ド・スタールの絵が2点ずつあり、また相当数のジャコメッテイの彫刻と絵、セザンヌ数点、タピエス、ピカソ、ボナール、そのほか、初めて出会い、印象づけられた画家たちの絵も多数ありました。

 次の到着地は、「アルルといえばゴッホ」のアルル(Arles)。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は1888年に、もろもろの悩みから逃れ、また、南仏の光、明るさにあこがれ、心機一転を計ってこの地にやってきました。ここでのストーリーは、後に本にもなった彼の弟テオ(Theo)との文通や映画などでよく知られています。


▲ゴッホが住み、絵にも描いた「黄色い家」は、今はなく、アパートビルが建っている(アルル)

 ゴッホはここでアーティストコミュニテイーのようなものを作ることを夢見て、まず友人の画家ゴーギャンを「黄色い家」に招き共同生活を始めました。しかしうまくいかず、片耳を切断した後、自ら精神病院に入りました。

▲ゴッホがアルル地方で描いた絵  ▲ゴッホがアルル地方で描いた絵 


 ゴッホについて一番驚くのは彼の作品の量です。あの短く恵まれなかった生涯の中でどうしてあれだけの膨大な数、しかも一作一作、新境地をめざしての作品を描くことが出来たのか。彼の37年の生涯のうち、絵を描いたのはわずか10年余りですが、Google によると860点の油絵を含む2,100点の作品を残しています。そしてその間、売れたのはただの1点だけというのも驚きです。

 アルルは、いまやゴッホ観光地となり多大な恩恵に浴していますが、生涯文無しで、生活費、絵の具、カンバス代まで弟テオに頼らなければならなかった彼が、今ここに現れたらどう思うだろうかと、ふと考えました。

 ここにはゴッホの美術館ファンデーション・ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Fondation Vincent van Gogh)があり、たまたま、その時、ゴッホがこの地域で描いた絵を世界中から集めた特別展覧会をやっていて、見ることが出来たのはラッキーでした。

 アルルは大河ローヌ(Grand Rhone)に面していますが、それに沿って40キロほど南下すると、まだ自然環境がよく保たれている地中海沿岸に到達します。そこにある大規模な Salt-Flat(塩原)を見に行きました。


▲アルル南の塩原

 実は南米のボリビア、チリにある Salt-Flat を見に行くという計画もあったのですが、ジカ熱病に恐れをなして止めました。その代わりというつもりでしたが、やはり写真その他で調べた南米のものよりははるかに小規模でした。しかし、美術館内で絵ばかり見ていた目には、この塩原の白と薄紫の広がりは心地よく、行くだけの価値は十分ありました。
 この国立公園は広大で、案内パンフレットによると、フラミンゴの群れが集まるところもあり、 走り回る野生の白馬の群れなども見られます。私たちもちらっと見ました。

 次は、私たちの南仏最終地点、セイント・レミ(St. Remy)。アルルの北方約30キロで、ゴッホが入院していた精神病院セイントポール・ド・モースル(St-Paul-de-Mausole)があるところです。


▲ゴッホの病室のベッド(セイント・レミの精神病院) 


▲ゴッホの病室の窓

 ゴッホは、このアルプスの山麓の病院に約1年入院していましたが、付き添い人付きで屋外に出たり、絵を描くことも許されていました。この間、彼の創作意欲は高く、多くの代表作(星空、麦畑、アイリス など)を含めて約150点の作品を描いています。

 街の中心からこの病院に向かって、徒歩30分ほどのやや登り坂のゴッホ道(Avenue Vincent Van Gogh)があり、その所々に道印として彼の絵の複製写真が全部で20点設置されています。この病院は今でも一部は病院として機能しているとのことですが、大半は観光客に開放されています。

 彼のいた部屋に入り、まずその狭さ、ベッドや机、イスの小ささに胸を打たれました。ここで、あの天才画家が寝起きし、小さな窓から外を眺め、そして150点もの絵を描いたというのが、にわかには信じがたく、予期しなかった感動をおぼえました。

 次の日、アヴィニョン(Avignon)でレンタカーを返し、カナダからネットで指定席切符を買ってあった特別急行列車(所要時間:3時間)でパリに向かいました。

 パリはその時、まだ昨年11月のテロ後の非常時態勢が解除されておらず、また、ゼネラルストライキ中、加えて歴史的な大洪水の影響などがあり不安でしたが、案の定、まず正確さが自慢の急行列車が大幅に遅れ、サッカーのヨーロッパカップが行われたマルセイユ経由の列車などは超満員でアヴィニョン駅での停車なしという有り様でした。
 しかし大勢の乗客たちは、スト慣れしているせいか、駅構内の頻繁なアナウンスを黙々と聞き、混乱、パニックはなく、私たちも指定席に落ち着くことが出来ました。〈次号に続く〉

(2016年8月25日号) 



 



 
(c)e-Nikka all rights reserved