ニコラ・ド・スタールの絵を見に南仏からパリへ(3)
ド・スタール作品には出会えなかったけど多くの美術館巡り


〈 ミシサウガ市 牧野憲治 〉  

 長らく、芸術の世界の首都として君臨してきたパリには、非常に多くの国立、公立、私立の美術館と、それに加えて世界的にも名の通った商業画廊が多数あります。

 大きな美術館で多岐にわたる作品すべてを見て歩くというのは、近ごろは心身ともに疲れて印象度も低下するので、最初から目標を限定して行くようにしました。その点、商業画廊の場合は、気軽に入り口から眺めて、興味があれば中に入り、画廊の主人などと会話を交わし、いろいろ楽しく学ぶ機会があります。

 彼らは大概暇(ひま)そうで、私たちが絵を買うつもりがないことが瞭然でも気にかけず、絵には全く無関係な雑談にまで発展することもありました。一度などはレストランの話になり、私たちが行った店の名を言うと、「典型的な観光客用の店だ。我々がよく行くこの店を試したら?」。試した結果、良いアドバイスであったことが分かり感謝しました。

 今回は、前に訪れたモネ美術館、ピカソ美術館、ルーブル美術館などを除き、ニコラ・ド・スタール(Nicolas de Stael)の絵のある可能性がある5つの美術館に行くことにしました。

▲モネ作「ノルマンディー海辺」(ジャコマール・アンドレ美術館) ▲アルベール・マルケの絵(ジャコマール・アンドレ美術館)


 まず最初は、私立のジャコマール・アンドレ美術館(Musee Jacquemart Andre)。ここではその時、「ノルマンディー表現派特別展」が行われており、1900年代にこのフランス北岸で描かれた絵を集めて展示していました。多くのモネの海辺の絵、これがゴーギャン?と思わせるようなゴーギャンの絵、ルノアール、ブラック、初めて名前と絵を目にし「いいな!」と思ったアルベール・マルケ、そしてピサロなどを見ました。


▲セーヌ川南岸のオルセー美術館


▲かつて鉄道の駅だったオルセー美術館の内部

 次は、オルセー美術館(Musee d’Orsay)です。ホテルから徒歩で広大なチェイルリー庭園を横切り、セーヌ川の数ある橋の一つを渡ってセーヌ南岸にある美術館に到着。ここは私たちが来る4、5日前まであの歴史的な大洪水のため、ルーブル美術館と共に閉鎖されていました。セーヌの水はかなりひいたとはいえ、まだ水位は高く洪水の名残をとどめていましたが、この水位がセーヌの両岸を越えるくらいまで上がったというのは想像も出来ませんでした。

▲ルソーの絵(オルセー美術館) ▲モネの絵(オルセー美術館)


 オルセーではこのとき 退職するまで日曜画家で、絵は自己修業のみというルソーの特別展をやっていました。彼の原始的な絵は、ピカソがたまたま見てその強い印象を言いふらすまで、「子供が描くような絵で見るに耐えない」との酷評を受け無視され続けていました。彼のように、その時のいわゆる“芸術的な絵”の観念に100%とらわれず、自分の絵を描き続けたのは尊敬・感嘆に値すると思います。

 オルセー美術館は大きく、この特別展のほかに5階では多くのゴッホを含む印象派の絵が展示されていました。ド・スタールの絵は展示無し。

 翌日、パリの北方約30キロのところにある、ゴッホ終焉(しゅうえん)の地、オーヴェル・シュル・オワーズ(Auvers Sur Oise)に汽車、バスを乗り継ぎ日帰り旅行で行ってきました。


▲ゴッホの教会の絵と実物


▲ゴッホと同じ場所に立ち、教会のスケッチを試みる筆者


▲ゴッホが「からすが飛んでいる麦畑」を描いた場所と現在の風景

 ゴッホが描いた教会を、彼が立ったと思われる場所に立って、持っていったスケッチブックに素描し、それから有名な、「からすの飛んでいる麦畑」の絵のところにも立ってみました。しかし今は麦畑はなく、ただの平凡な野原があるばかり。もちろんからすなど飛んでいるはずはなく、彼の絵との具体的なつながりはほとんど見いだせません。しかしゴッホがその景色を単に写生したわけではないことを思考するだけでも、来た意義はあったとしました。
 この野原の近くに、ゴッホと、彼を追うように彼の死の6カ月後に病没した弟テオのお墓が並んであります。

 今回のパリでの美術館見学で、前回の場合と違ったのは、すべての美術館で、程度の差こそあれ、空港のようなセキュリテイーチェックが必ずあったことと、絵の撮影禁止がかなりゆるやかになったことでした。特別展の場合は、絵をいろいろな美術館、個人などから借りていることもあり撮影厳禁が普通でしたが、常設の絵に関してはフラッシュさえ使わなければ撮影OKというのがおもでした。

 思うところ、今は皆スマートフォンを持っているので、撮影禁止違反を取り締まるのはほとんど不可能という事情もあるでしょう。また美術館内の採光は通常あまり良くなく、絵を保護しているガラスの反射もあり、その写真から原画を高度に複製することは難しいということもあると考えられます。


▲モネの長さ100メートルの「睡蓮」の絵(オランジュリー美術館)

 次に出かけたのは、セーヌ北岸チェイルリー庭園の一角にあるオランジュリー美術館(L’Orangerie) 。ここに有名なモネの超大作、睡蓮(Nympheas)があります。1927年に設置された8枚の絵は2つの楕円形の部屋にまたがってつながり、なんと全長100メートル近くもあるということです。

 また、ここには数々のよく知られた印象派画家たちの作品も常設展示されていました。中でも印象に残ったのは、マチスが初めて見た時、興奮のあまり一晩寝られなかったというヴラミンク(Maurice de Vlaminch)の純粋・強烈な朱色(Vermilion)を使った絵でした。

▲強烈・純粋な朱色(Vermillion)で有名なヴラミンク(オランジェリー美術館) ▲校外アートクラスの子供たち(オランジェリー美術館)


 この美術館に限らず他の美術館でも、時々、子供たちの団体(5〜6人―12〜13人)が先生に連れられて、絵や彫刻を見たり、時には座り込んで自由にスケッチをしたりしているのに出くわしました。アートクラスの校外授業の一部なのかなとうれしく思い、また美術館側が協力していることにも感心しました。


▲ポンピドー美術館入り口前の池


▲ハイテク建築のポンピドー美術館。右手に見えるチューブの中にエスカレーターがある

 ハイテク建築と称され、冷房のためのパイプやらエスカレーターやら、普通は建物の中にある内部構造が外に付けられているポンピドー美術館(Pompidou) は、収容する近代美術作品にふさわしいようにデザインされたということですが、一見、煩雑な工業用ビルのような感じも与えます。ビルは7階建てで10万平方メートルもあり、私たちはエスカレーターで常設近代美術作品のある5階へ直行、そこのみでかなりの時間を過ごし、この日の絵画鑑賞エネルギーを使い果たしました。

 このポンピドーで、私の歯科医の親戚の画家、カジミール・マレーヴィチ(Kazimir Malevich)の絵も見ました。以前、彼女が自分はマレーヴィチの親戚で、彼の絵がUS$100ミリオン近くで売れたとき、彼の遺言によってその何%かをもらったと聞いた時は、彼が近代絵画、抽象画の祖ともいわれ「Black Square」を描いたなどとは知らず、半信半疑でした。

▲カジミール・マレーヴィチの暗示的な絵(ポンピドー美術館) ▲ルオーの絵(パリ市立近代美術館)


 パリでの最後の美術館は、パリ市立近代美術館(Paris Moderne) 。ここでは作品を、分かりやすく1904−1960年と、それ以後に分けて展示しています。ここでたまたま、前記のジャコマール・アンドレ美術館で興味をもったアルベール・マルケ(Albert Marquet) の特別展が行われていて見ることができたのは幸運でした。
 しかし、パリでは結局 ド・スタールは一点も見られず残念。次のロンドンに望みを託しました。
  〈次号に続く〉

(2016年9月1日号)



 



 
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