「赤毛のアン」作者、モンゴメリーの新居
リースクデールの牧師館と教会を訪ねて


〈 オンタリオ州ロンドン市 ウィルソン夏子 〉

 ルーシー・モード・モンゴメリー(Lucy Maud Montgomery =1874−1942)は、30代に入っていた。プリンスエドワード島(PEI)のキャベンディッシュで、祖母の世話をしながら、彼女は小説を書いていた。

 31歳で、ユーアン・マクドナルドという長老派教会の牧師を知り、32歳で、彼と婚約した。34歳の時、「赤毛のアン」が出版され、大成功を収めた。祖母が1911年に亡くなると、モンゴメリーは、ユーアンと結婚する。36歳だった。

 英国やスコットランドに新婚旅行をした後、二人は、ユーアンが牧師となったオンタリオ州リースクデール(Leaskdale)の教会の牧師館に落ち着いた。ここに1911年から1926年まで住む。トロントの北にあるリースクデールとは、一体、どんな所なのだろう。


▲ Lucy Maud Montgomery

 2016年8月、私は(車は使わないで)この地を訪ねることにした。リースクデールに行くには、トロントのユニオン駅から、ゴー・バス(Go Bus)に乗り、アクスブリッジ(Uxbridge)に向かう。終点で降りるので、安心し、居眠りしたり、ジュースを飲んだりした。

 バスの窓からは、パリのルーブル博物館のような建物がみえる。それは、最近建てられたカーン美術館と分かった。バスは北上し、ニュータウンや、マーカムという新興住宅街を通り過ぎた。

 1時間半後、アクスブリッジに着く。小さな、しかし上品な町並みだ。モンゴメリーは、トロントで講演を頼まれたりした時など、ここを通っているので、私は、この町を見たかったのである。

 さて、アクスブリッジからは、タクシー以外に行く方法はない。それで、バスを降りた停車場から、前日ネットで見つけたタクシー会社に、携帯で電話をする。

「モンゴメリーという作家が住んでいた教会と牧師館に行きたいんですが」
すると、その人は、
「それはどこにあるの?」
「リースクデールという名で、この街の隣ですが」
「ああ、分かった。じゃあ、10分くらいで行くから、そこで待ってて」

 タクシーは、待っても、待っても来ない。どうしたのかなあ。他の仕事が入ったのかもしれない、などと思案している中、艶やかに「タクシー」と車のあちこちに宣伝を描いた車がやってきたのは、20分くらいしてからだった。

 運転手さんは40代の男性で、アクスブリッジに長年住んでいるのに、モンゴメリーの名前も聞いたことがなく、その人がどういう人であるかも知らなかった。

「モンゴメリーさんは、今から百年以上も前の人だから、あなたのようなお若い方は、ご存じないのかも」と私は言った。 タクシーは、畑や森に囲まれた一本道を走った。家は、ぽつん、ぽつんとあるだけだ。

「こんなに辺鄙(へんぴ)な所に教会があって、そこに行く人たちがいるのかしら?」と、私は不安になって、運転手さんに聞く。すると、
「ああ、思い出した。その教会は、葬儀屋に似ている所かなあ」と言う。
「私は、まだ行ったことがないので、分かりませんが・・・」

 とにかく、右も左もすごく牧歌的な景色である。
「今でも、こんなふうならば、彼女が住んでいた百年前には、もっと、もっと何もなかったかもしれない」と私は驚いていた。


▲モンゴメリーは馬車に乗って、この道を走った。この一本道の左に教会、右に牧師館がある。

 タクシーは20分後に、教会に着いた。なるほど、少し古めいた教会だ。そこに立て看板があり、モンゴメリーの劇の宣伝があった。20ドルとチップを払い、教会の駐車場で降りた。そこには、7、8台の車が停まっていたので安心した。

 教会に入ると、教会の入場料と、牧師館の見学のために、7ドルか8ドルを払った。
「今、作家が住んでいた家に、すぐに行って見て下さい。案内が始まったばかりですから、今行けば、間に合いますから」
私は急いで外に出て、教えられたように道路を渡り、坂を下り、3軒の家を過ぎて、4軒目のこの家に来た。


▲モンゴメリーが住んだ牧師館


▲家の横に作られた花壇。8月にはこのように花が咲いていた

 「ここなのか」と不思議な親密感を覚えた。ドアを開ける。家に入る。玄関口は狭い。入って左は、居間。オルガンが置かれ、ソファがあり、陶器の犬がふたつ、床に並んでいた。(「e-nikka」2016年7月28日号に、梶原由佳さんが撮られた写真があります)。

 案内の学生さんは、この居間で、他の訪問客に説明していたので、私は一人で家を回った。玄関を入って右側は、書斎。机には、タイプライターが2台置かれていた。家のもっと奥に入ると、小さなダイニングルームがあった。丸いテーブルが、部屋を占領している。そこを過ぎると、台所だった。二階に行く。二階の廊下の窓のレースのカーテンがきれいだ。誰か知っている人の家を訪ねているような雰囲気である。


▲玄関を入って右に彼女の書斎があった


▲二階への階段


▲二階への階段踊り場の美しいカーテン

 二階の廊下には、ミシンが置いてあった。モンゴメリーは手先が器用で、色々な物を作っていたことを知る。寝室は、3部屋あった。

 モンゴメリーは日記にこのような意味のことを書いている。
「ここは、いい場所にあるが、決して理想的であるとは言えない。が、以前の私の家よりは、快適で便利である。白いレンガの、田舎によくあるL型である。がっかりしたのは、浴室とトイレが家にないことである。少なくとも、これらがある家を希望していたのに」
当時の一般的な家がそうであったように、この家のトイレは、外にあったのだ。

 ここで、モンゴメリーは新婚生活をはじめた。二人の男の子を育てた。母親役以外に、モンゴメリーは、牧師の妻として一生懸命働いた。信者の家に招かれ、あるいは、信者を招いたり、クリスマス会には、子供たちのコンサートや劇を指導したりした。またクッキーを作るなど、教会の仕事に精を出した。

 日曜学校で教えたりもした。モンゴメリーは、「赤毛のアン」の作者として、トロントでもよく知られており、講演のためにトロントにも出かけた。このような状態で、彼女の22の作品のうち、11冊をこの家で書いていたのだ。

セントポール長老派教会

 夫ユーアンが牧師を務めたこのセントポール長老派教会は、当時、建てられてから5年ほどの新しい教会だった。窓には、きれいなステンドグラスがあり、当時は裕福なお百姓さんたちが集まったようだ。


▲1906年ごろに建てられたセントポール長老派会教会

 夫ユーアンは、学生時代から、時折、うつ病に襲われたことがあったが、次第にその兆候を見せはじめた。宗教を仕事にしていることから起こる抑うつ症で、「自分は天国に行けない」と悩むのだった。

 モンゴメリーは、著作の出版からの収入を得て、1918年当時、まだ珍しかった車を買った。ユーアンが運転手になったが、彼は運転がうまくなかった。

 1921年のある日曜日、家族で知人の家にランチに行く途中、ユーアンはガソリンスタンドに立ち寄った。ガソリンを入れ、道路に出た途端、ユーアンは、対向車とぶつかってしまった。幸いどちら側にも大した傷を負った人もなく、不手際は両者にあった。しかし相手側によって裁判に持ち込まれると、ユーアンが負けてしまった。するとユーアンは、一層、うつ病がひどくなり始めた。

 それに加え、教会では、メソディスト派と長老派との間で問題が起こり、とうとう、1926年、ユーアンは転勤を要求されてしまった。こうしてモンゴメリーの家族は、15年間住んだリースクデールを去ることになるのだ。転勤先はオンタリオ州ノーヴァル(Norval)という村だった。

 私が訪れたその日、教会では「リースクデールのモード」という題で、女優さんによる一人芝居が演じられた。地元の人が、モンゴメリーの日記を下して書かれた戯曲である。この日、女優さんは、数日前からの連続公演で、声を枯らしていたと伺ったが、2、30人の客は、モンゴメリーを思い浮かべようと、熱心に彼女の言葉に聞き入った。

 2時間あまりのモンゴメリーの独り言を聞いていると、彼女が生きていた時代がうっすらと分かってくる。第一次世界大戦があり、夫の病に悩み、彼女自身も眠れない夜が続いていた。大変親しかった従姉(いとこ)のフレディが亡くなってもいる。モンゴメリーは、精神的にかなり厳しい生活を送っていたということが察せられた。


▲教会の内部。この日は一人芝居の観客が集まっていた


▲モンゴメリーの一人芝居を演じる女優さん

 その日、私は休憩時間にこの教会の係の50代の女性、バーバラさんと親しくなり、帰りは彼女がアクスブリッジまで送ってくれることになった。車中、私たちは話し合う。

私「モンゴメリーって、すごく悩んだみたいですね。新婚のモンゴメリーは、ここで楽しかったんでしょうか」と聞いてみた。
バーバラ「そうねえ。でも彼女、その悩みを、ある程度楽しんだかもしれないと、私は思ってるのよ」

 これを聞いて、少し驚いたが、よく考えれば同感できた。
「そうだ。どんな境遇に住もうと、作家は作家として生きるのだ。だから生活上での悩みも、書くことで消化される。かなり難しいことではあるが、悩みでさえも、楽しむことができる人たちが、作家という人たちなのかもしれない」と思った。

お出かけの
作家を乗せて
行く馬車の
ぽっかぽっかと
軽やかな音

〈おわり〉

【最後に】
 日加タイムス e-nikka が今年12月末に閉じられるとお聞きしたのは、この夏の終わりのことでした。その時は思いがけなかったので、ショックでした。でも時を経て、色本編集長ご夫妻のご苦労を思えば、理解できるようになりました。が、本当に残念です。

 毎週、私は日加タイムス紙、そしてオンライン新聞「e-nikka」を、親しみと愛着を感じて拝読してきました。存続37年とお聞きし、驚いております。私は時折、一般的なこと、旅行記事などを寄稿させて頂きましたが、このモンゴメリーの記事が最後になります。この機会に、これまで拙稿を読んで頂いた読者の方には、心よりお礼申し上げたいと思います。何かありましたら、メールでご連絡頂ければ、幸いです。 natsuko2@hotmail.co.jp

 私ごとですが、色本編集長に導いて頂き、長年書き続けた「カナダ事件簿」は、彩流社から、英語のダイジェストを添え、本として出版して頂くことになりました。チラシをご覧ください。出版は、2017 年1月の予定です。たくさんの方に読んで頂ければうれしいです。
それでは、色本ご夫妻のご健康を祈り、感謝とお礼を申し上げます。
ウィルソン夏子

(2016年11月17日号)



 



 
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