前田典子の「書」談義(第9回)
「誰か来さうな 雪がちらほら」


街はクリスマスの装いとなり、木々はすっかり冬木立となりました。
今回が私の最後の寄稿です。
「書」の面白さ、奥広さ、楽しみ方、そして「古くて新しい書」をご紹介できればとアートエッセーシリーズに綴りました。

異国にあるからこそ見える日本のよさ、美しさ、素晴らしさがあります。
日本語の響き、言葉の余韻、
日本的な余白の使い方、左右非対称のバランス・・・・・・
日本独特の美意識を、異国に暮らすことで一層深く感じ、
私は「書」で表現しています。



▲ジャクソン・ポラック

ジャクソン・ポラック
それと同時に、世界に触れることで日本の文化の位置や違いを再認識することもあります。
違う手法、異なる表現から新たに学ぶこと、啓発されることも多々あります。
上の写真はニューヨークの近代美術館でジャクソン・ポラックの作品の前に立った時のものです。
白と黒のペイントの連なりに、書の筆のタッチに似たリズムを感じ、その線の流れに見入り、ジャクソン・ポラックの動きを追いかけているような感覚でした。




▲マーク・リトホー

マーク・リトホー
マーク・リトホーは私の好きな画家の一人です。
その作品からは、紙面の分割の面白さ、色の組み合わせによる対比、単純かつ大胆な構成の力強さなど、書とは全く別世界のようなマーク・リトホーの作品の中にも大いに学ぶ要素があります。




▲NYチェルシー・アートギャラリー

NYチェルシー・アートギャラリー
「書」は、古来からの、白黒の、ビジュアルアート、と捉えられますが、
キース・ジャレットや加古隆のピアノの音色に、書の潤渇、空間の間(ま)を読み取ることもあれば、
生け花の花と器、花と季節、花と表現が書との共通点を持つこともあり、
また、武道の対峙(たいじ)する相手と向き合う呼吸は、紙と向き合う時の呼吸に通ずるところもあります。
コンテンポラリーな黄色い作品群の中にも、書の新しい表現や方向性のアドバイスが潜んでいます。
「聴雪・雪を聴く」という言葉は「音もなく降る雪の音を、心静かに思う」という意味ですが、
音楽や武道、あるいは現代アートの中にも書に通じる「音」が聞こえる気がします。




▲イエローナイフ 氷

イエローナイフ 氷
カナダには美しい自然があり、その自然が作る造形の美しさは感動的です。
厳寒のイエローナイフ、グレートスレイブレイクの湖面には、湖水が凍る時にできるラインが走っています。
氷の中に自然が描いたラインは、あるべき必然性と、あるがままの柔軟性を併せ持った美しさがあります。
カナダに暮らすことは、風や月、鳥や花を身近に感じ、春の訪れ、夏の恵みに心打たれ、壮大な秋の美しさ、凜(りん)とした冬の厳しさに敬服しながら、そんな自然のエッセンスを自分の中に吸収することだと思っています。




▲誰か来さうな

誰か来さうな
そろそろ雪の舞う季節です。
山頭火の詠んだ句
「誰か来さうな 雪がちらほら」を
舞う雪のイメージで書いてみました




▲雪は天からの手紙

雪は天からの手紙
雪の結晶の研究をした科学者、中谷宇吉郎の言葉があります。
「雪は天からの手紙」
天から届くさまざまな手紙を心で読みながら、
私なりの表現でたくさんの手紙を書いていきたいと思っています。

【編集部より】「書家・前田典子エッセー」シリーズは今回で終了します。「第1回 紙に筆と墨で書く『書』の概念を払拭」から「第8回 大きい書、小さい書」までの記事は、アーカイブの「アートエッセー・前田典子の『書』談義」をご覧ください。トップページ「今週のトピックス・目次」の下の「過去のトピックスはアーカイブをご覧ください」をクリックすると見られます。

(2016年12月1日号)



 



 
(c)e-Nikka all rights reserved